私たちが悩みを抱えて苦しんでいるときというのは、
得てして「○○であるべき」という価値観に縛られているときではないでしょうか?
不登校も同じだと思います。
「学校に行くべき」という価値観が、お子さんを、親御さんと苦しめている。
そういう面があると私は感じます。
今は何の苦も無く食べられますが、私は以前納豆が苦手でした。
納豆が苦手であったときに、納豆が苦手であるという理由から誰かに叱責されたことはありませんでした。
話は変わって、私は高校生のときにとにかく学校が嫌いで、毎日行きたくないと思っていました。
ある朝父親に、「学校に行きたくない」と告げると、「ふざけるな!」と怒鳴りつけられました。
私と同じように、学校行きたくないと告げると、親御さんから叱責されたというお子さんは多いです。
「納豆嫌い」も「学校嫌い」も何かが嫌いという点において何ら変わりはないはずなのに、このように全く異なる対応を取られるという不思議。
納豆が嫌いでも誰から叱責されることもないのに、学校が嫌いというとなぜこんなにも怒られてしまうのでしょうか?
それは、納豆には変わりがあるが、学校には変わりがないから、だと思います。
納豆がなくても、そのほかのもので栄養補給を代替できますが、学校以外でその機能を代替する場が日本にはない。
そう思っている人は多いと思います。(私は全くそうは思いませんが。)
だから「ふざけるな!」と怒られるのかもしれません。
私は学校に行けないことが問題なのではなく、この学校以外に変わりが効かないという状態に問題があるのだと考えます。
続きます。