《人はなぜ学ぶのか?》
「なぜ人は学ばなければならないのか?」
一緒に学習をしていると度々子ども達から問われることです。
偏差値の高い学校に入ることが大企業への就職に繋がり、それが将来の良い暮らしを約束する、そんな時代はもう遠い過去の話です。
それにも関わらずなぜ人は学ばなければならないのでしょうか?
私はそんな指針無き時代だからこそ人は学ばなければいけないと答えます。
私たちは自分が知らないことについて思考せよと言われても思考することができません。
私たちが思考することが出来るのは自分の知識の範囲内でだけです。
つまりその人の思考の射程を決めるのはその人の知識の範囲だということです。
現代は大人でさえもどう生きれば良いのか分からない時代、自分で自分の生き方について思考しなければならない時代です。
そんな時代を生き抜くためにこそ人には思考の土台となる知識が必要なのです。
だから人は学ぶ必要があるのです。
先の見えない時代を生き抜く思考力を手渡すために私は子ども達と学習を通じて関わっております。
《不登校に対する考え方》
文科省が定義する不登校に該当する児童生徒数は令和3年度に24万人を超えました。
中学生だけに限れば不登校またはその傾向にある生徒の割合は13.3%に達するというデータもあります。
これらのデータから不登校という現象が誰にとっても身近なものになっていることがよく分かります。
不登校が個々のご家庭の育て方やお子さんの性格に起因するという考え方を度々耳にします。
しかし私は上記のデータからもそのような原因だけでは不登校という現象を説明し切れないと考えています。
不登校は社会の構造が引き起こしている現象であるというのが私の立場です。
そしてそのような立場を取らなければ先ほどご紹介したようなデータをうまく説明することは出来ないと考えます。
お子さんが不登校になった時に大切なことはいくつかあります。例えば、
1、咎められることなく安心して休める環境を用意すること
2、ゲーム、スマホなど依存症の危険があるものと適切な距離を取ること
3、親御さんが穏やかさを取り戻すこと
4、学び続けること
などです。
ここでは4について私の考えを書かせて頂きます。
不登校に関して、学校に行くか否かよりも重大なことは学びの機会の喪失です。
人は学び続ける限り自身の可能性を広げていける生き物。
だから不登校になったとしても学び続ける限りその可能性が狭まることは決してありません。
不登校状態になったお子さんが学びの機会を得てその可能性を広げていけるよう、私は不登校の子ども達と学習を通じて関わっています。