8月14日、お盆二日目の朝です。
今年はコロナウイルスの影響で帰省を控える方が多いからでしょう、いつもより静かなお盆を過ごしております。
私の家もいつもなら東京に住む姉とその子どもたちが帰省してきて、ワイワイガヤガヤの日々を過ごしているはずなのですが、
今年は帰省取りやめなので、甥っ子、姪っ子に会えずちょっぴり残念です。
来年は一緒に花火をして遊べるといいなぁ。
昨日息子は実家の庭に大きなプールを出してもらって水遊びをしていました。
じじちゃん、ばばちゃんにたくさん遊んでもらって満足気な顔をしていました。
一緒に学習している子どもから、勉強しても成績が上がらない、という話をされることがあります。
考えられる原因は二つあります。
一つはやり方が間違っている。
もう一つは成長に対する勘違いです。
今日は二番目の人の成長に関する勘違いについて。
中学二年生の数学で、一次関数というものを学びます。
y = ax + b という形の関数で、そのグラフは傾きaが0より大きければ右上がりの坂道ような形になります。
人の成長に対する勘違い。
それは、多くの人は人間の成長は一次関数のように実現されると考えていることです。
例えば一時間何かの学習に取り組めば、一時間に見合う形で成長を感じられるはずである、ということです。
しかし、自分自身を含め多くの子どもと学習する中で、人はそのような形では成長しないと私は確信しています。
それでは、人の成長とはどのような形で実現するものなのでしょうか?
高校生になると、y = [x] という関数を学びます。
これはガウス関数と言ってそのグラフは右上がりの階段のようになります。
私が考える人の成長は、このガウス関数のような形で実現します。
つまり、階段の踏み段のように、いくらやっても成長を感じられない平坦な時期がしばらく続いた後、
今までできなかったことがある日簡単に出来るようになる、階段を一段登るような瞬間が突然訪れる、
人の成長というのはそのような形で訪れるものだということです。
だから何かに取り組み始めたからといって、それがすぐに何かしらの実を結ぶなどということはほとんどありません。
しばらくは何の変化も感じられないような時期が続きます。
そして多くの人はこの期間に何かに取り組むことをやめてしまい、いつまでもこの階段状の成長を体験することが出来ず、
自分はこういう人間なのだ、結局ダメなのだと、自分自身に対する諦念を強く握りしめ、ついにはそれを手放せなくなってしまうのです。
このような状態に陥らないために必要なことが三つあります。
1、人の成長が階段状であると知ること
2、取り組むものにやりがいを見出すこと
3、微細な変化に対してフィードバックをしてもらうこと
一つ一つを見ていきたいと思います。
まず、一つ目ですが、人の成長は一次関数ではなく階段状に実現すると知ることです。
人の成長が一次関数のように実現すると確信したまま、やってもやっても成果らしいものが感じられない日々が続けば、
その人はその努力をもう続けなくなってしまうでしょう。
しかし、人の成長が一次関数ではなく、階段のように実現すると知っていれば、その何の成果も感じられない日々にも意味を見出すことが出来るはずです。
いつか成長の時が訪れるという確信があれば、たとえ大変な事であっても投げ出さずに取り組み続けることが出来るものです。
だから、何かをやり続けるために、まずは人の成長は階段状であること、続けることでいつか成果を感じられる日が必ず来るとことを知ることが大切なのです。
ちょっと長くなりましたので、今日はここまで。
2と3についてはまた次回とさせて頂きます。
今日も最後までお読み頂きありがとうございます。
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