先日、仕事が早く終わった夜に、お盆に録りためていたNHKスペシャルを見ました。
番組が扱っていた内容は第二次世界大戦です。
録りためていたものの一つに、特攻隊を扱った番組がありました。
特攻とは何だったのか?
何故あのようなことをしなければならなかったのか?
自分でもはっきりと理由が分かりませんが、私は特攻というものを知りたいし、知らなければいけないという気持ちを持っています。
それはもしかしたら、無謀な作戦を強いられて死ななければならなかった若者たちの声に耳を傾けたい、という願望なのかもしれません。
番組を機に手に取ったのが、劇作家の鴻上尚史さんが書かれたこの一冊です。
「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」
特攻作戦を9度命じられて、9度とも生きて帰ってきた特攻兵がいました。
鴻上さんはその特攻兵、佐々木友次さんの話を耳にして、どうしても会ってみたいと強く望むようになります。
なぜ、今とは比べ物にならないほどに同調圧力の強い時代背景の中、
しかも軍隊という上位者に絶対服従の組織において、上官の決死の命令に抗って生きて帰ろうと思ったのか。
その興味が鴻上さんを突き動かし、実際に佐々木さんの住む北海道に赴き、5度インタビューをしています。
本書はそのインタビューの内容に加え、様々な先行資料に基づいた、美化されていない特攻の現実が描かれています。
私がこの本を読んでいる間、終始感じ続けていたのは日本人の非論理性です。
論理的に破綻すると精神主義に逃げ込む悪癖、と言い換えてもいいかもしれません。
飛行機というものは空を飛ぶのですから、当然構造的に軽くなければいけません。
故に多くの戦闘機はアルミなどの柔らかい軽金属で出来ています。
片や、特攻機が突撃する空母は堅固な鋼鉄で出来ています。
特攻作戦が現実味を帯び始めたとき、多くのベテランパイロットたちはそれを、
「コンクリートの壁に生卵をぶつけるようなもの。卵は粉々になるが、コンクリートは汚れるだけ。」
つまり戦果は期待できない、非論理的である、と主張しました。
その主張に対して陸軍の航空技術研究所は、論理的に反論できないと見るや、
「崇高な精神力は、科学を超越して奇跡をあらわす」と反論にもならない反論で返します。
そしてこの非論理性は、軍内の一部組織だけの性向ではありませんでした。
戦犯として処刑された東条英機首相は、帝国議会で以下のように発言しています。
「申す迄もなく、戦争は、畢竟、意志と意志との闘いであります。
最後の勝利は、あくまでも、最後の勝利を固く信じて、闘志を維持したものに帰するのであります。」
軍の飛行学校を訪れ、学生にどうやって敵機を撃ち落とすかと質問した際には、
学生が「高射砲でこのように打って、、、」と説明し始めるとそれを遮り、
「違う。精神で落とすのだ。」と答えたそうです。
また東條首相はたびたび、
「負けたと思った時が負けなのだ。負けだと思わなければ負けない。」
という言葉を繰り返し使っていたそうです。
重ねて言えば、この非論理性は軍部などの指導層に限られたものではありませんでした。
その性質は国民にも広く共有されていました。
本書の中で先日亡くなった歴史研究家の半藤一利さんの著書、「そして、メディアは日本を戦争に導いた」の記述が引用されています。
それによれば、第二次世界大戦から遡って、日露戦争開戦前、戦争に対するメディアの論調は、
「帝政ロシア断固撃つべし」と「戦争を避けて外交交渉を」に二分していました。
この二つの論調に対する国民の対し方は、正反対のものとなりました。
戦争反対を唱える新聞は大きく部数を下げた一方で、戦争賛成派の新聞の部数はどんどん伸びていったのです。
この体験からメディアは戦争翼賛は儲かることを学び、それ以降戦争に協力的な傾向を強めていくことになります。
商売のために伝えるべきを伝える責任を放棄したメディアの態度は言うまでもなく論外ですが、
私がここでより問題視したいのは、現実的に考えれば、まともに戦って敵うはずもないロシアという強国に対して、
「外交交渉を以って臨むべし」という至極まっとうな主張を展開したメディアに強い忌避反応を示した、国民の態度です。
これは、見たくないものでも目を逸らさず直視し論理的に考える、という態度で事に臨むのではなく、
情緒的に自分を満足させてくれるようなものを無批判に妄信してしまう非論理性を表している、と私は考えます。
こういうことを書くと、日露戦争で日本はロシアに勝ったじゃないかという反論があるかもしれませんが、
日露戦争で日本はロシアに勝ったわけではなく、負けなかっただけです。
それが証拠に、ロシアは戦後日本に賠償金を支払ってはいません。
戦争中に第一次ロシア革命が起きていなければ、短期戦の後にアメリカが講和のテーブルを用意してくれなければ、
日本がロシアに負けることがなかったかどうかは大いに疑問です。
だから「帝政ロシア断固撃つべし」などというのは非論理的で無責任な妄言だと私は考えるのです。
前途有望な若者たちを特攻に追いやったものとは何だったのでしょうか?
近視眼的に見れば、それは航空技術研究所や東條英機首相のような、非論理的な指導層だったのかもしれません。
しかしもっと包括的に考えれば、見たいものだけを選好し、論理的に考える事を忌避した日本人の国民性が、
特攻などという非論理的で、残酷な作戦を実現せしめた一番の原因なのだと私は考えています。
本書を読んでいて私は沈鬱さの中に一つの希望を見つけました。
それは以下の記述(「つらい真実 虚構の特攻隊神話」より引用された箇所)です。
「体当たり特攻への志願・自発性の度合いは、当然にもその有効性を信じる度合いと並行した。
種別的に見れば、回天特攻(一人乗りの人間魚雷)のそれが最後まで最も高く、ついで海軍特攻機、陸軍特攻機の順となる。
時期的には、特攻開始の初期ほど高く、後ほど低くなる。
また実戦経験や技術練度の高い者や高学歴者ほど批判的であり、年齢も学歴も低いものほど、積極的であった。」
本書の別の個所では、生きて帰った特攻兵を隔離再教育する施設「振武寮」で教官を務めていた少佐の、少年飛行兵に対する言葉も紹介されています。
「12,3歳から軍隊に入ってきているからマインドコントロール、洗脳しやすいわけですよ。
あまり教養、世間常識のないうちから外出を不許可にして、その代わり小遣いをやって、
うちに帰るのも不十分な態勢にして国のために死ねと言い続けていれば、
自然とそういう人間になっちゃうんですよ。」
教養のない少年兵は洗脳するに容易く、経験や学歴のある人間は特攻作戦に対して批判的であった。
私が希望を感じたのはこの点です。
学問や経験を通じて学んだ人間は懐疑することができますが、
逆に教養や経験を持たない人間は容易く人の言いなりになってしまう。
先ほど引用した記述はこのことを示しています。
ここから「なぜ人は学ばなければならないのか?」という表題の問いに対する答えが導き出されます。
それは「懐疑するため」です。
人が学ぶ理由は様々あっていいと思います。
その中には、社会的に上昇したいから、という功利的な理由があってももちろん良いわけですが、
「懐疑出来る人間になるため」というのは、
間違いなく人が学ばなければならない理由のうちで、欠くことの出来ないものの一つです。
9度特攻に出撃し、9度生きて帰ってきた佐々木友次さんの話に戻ります。
鴻上さんのインタビューの中で、なぜ生きて帰って来られたのかについて様々な理由を話されていますが、
その中の一つに上官の言葉がありました。
佐々木さんが所属した特攻隊の岩本隊長は、当時陸軍のエースパイロットとして数々の爆撃を成功させていた人物でした。
その岩本隊長が、出撃前の作戦会議にて以下のように佐々木さんたち下士官に命じます。
「体当たり機は、操縦者を無駄に殺すだけではない。体当たりで撃沈できる公算は少ないのだ。
(中略)
これぞという目標を捉えるまでは、何度でも、やり直しをしていい。それは命を大切に使うことだ。
決して無駄な死に方をしてはいかんぞ。
(中略)
出撃しても爆弾を命中させて帰ってこい。」
明らかに上層部の命令に違反するこの隊長の言葉が、出撃のたびに佐々木さんの脳裏を過り、
それがこの無謀な作戦に対する懐疑に変わり、
体当たりではなく爆撃して生還する、という行動に駆り立てた一因であったと佐々木さんは語っています。
「論理的に考え懐疑することの大切さ」、そして「懐疑するために学びが必要であること」、
今までも一緒に学ぶ子どもたちに伝えてきたことですが、本書を読んでこれからもそのことを伝えていかねば、という思いを一層強くしました。
特攻に対して批判的な発言をすることは死者に対する冒涜である、という考え方もあるかもしれません。
私はそうは思いません。
慰霊というのは、先人の行いを無批判に賛美することだけをいうのではないはずです。
そこに改善すべきを見出し、次の世代に知恵として伝えること、繋いでいくことも私は慰霊であると考えます。
何故学ばなければならないか?
それは懐疑できる人間になるため。
一緒に学ぶ子どもたちにこれからも伝えていこうと思います。