昨日は激しい雨が降り続き、各地で避難勧告や避難指示が出ていた新潟ですが、
今日は一転、梅雨が明けたような夏らしい青空が広がっています。
山の向こうには入道雲が立ち上っておりました。
私はあれを見ているとなんだか力が湧いてきます。
梅雨明けは間近ですね。
日本に心理療法を導入した臨床心理学者の河合隼雄さんは著書の中で以下のように述べています。
“一般の人は人の心がすぐ分かると思っておられるが、人の心がいかに分からないかということを、確信をもって知っているのが専門家の特徴である。”
私自身、仕事で誰かの話を伺っているときも、日常生活を送っていても、他者を理解するということの難しさを痛感する場面が多々あります。
人の話を聴くことのプロでさえ、「人の心が分からない」と言っているわけですから、人の心を理解するというのは、一大事なわけです。
それでは、何が人の心を理解することを難しくしているのでしょうか?
人の心を理解する上での困難さ、具体的には以下の三つがあります。
一、感情を表出することへの抵抗感
二、内的枠組みの違い
三、言語的枠組みの違い
一つ一つを見ていきたいと思います。
一、感情を表出することへの抵抗
人の話を聴くときに、聴く側の人間が「それでは何でも話してください」と言ったところで、本当に何でも話してもらえるわけではありません。
そこには感情を表出することへに抵抗感があるからです。
感情というのは、その人の人間性の深い部分から沸き上がてくるものです。
それを相手に語るというのは、何一つ包み隠さない生身の自分を相手の前に晒すということです。
そこには当然、こんなことを言ったら笑われるのではないか、変に思われるのではないかという不安感が伴います。
また子どもの頃から、人前で泣いてはいけないとか、兄弟で喧嘩をしてはいけないとか、ある種の感情の表出を制限されて育った場合、
寂しさ、悲しさ、怒りなどの感情を感じたり、表現することが難しくなっている場合もあります。
どんな感情を表現しても、笑われたり、怒られたりしない、安心安全な場があって初めて人は感情を表に出すことが出来ます。
人を理解するとき、その安心安全の場をいかに作るかという難しさがまずあります。
そして安心安全の空間を作れたとしても、まだ人の理解を難しくする構造があります。
二、内的枠組みの違い
人は同じ経験をしても、必ずしも同じように感じるわけではありません。
例えば、遊園地でジェットコースターに乗った場合、そのスリルを楽しいと感じまた乗りたいと思う人もいれば、
乗り物酔いをして気持ち悪くなったり、怖いと感じたりして、もう二度と乗りたくないと思う人もいます。
花畑を散歩しても、その美しさに魅了されてまた来たいと思う人もいれば、退屈で退屈で一刻も早く帰りたいと思う人もいます。
このように、人は必ずしも同じ経験から同じ感情を導き出すわけではありません。
人の話を聴く際に、話し手が自分なら悲しいと感じるような出来事について話していても、それを話し手は悲しいと感じているとは限りません。
この内的枠組みの違いが、人と人の理解を難しくする第二の構造です。
人と人が理解することを難しくする構造、もう一つあります。
三、言葉の枠組みの違い
言葉というのは人と人が理解に達するためにとても便利な道具ですが、言葉という道具が内包する問題点が、相互理解を妨げる場合もあります。
その問題点とは、言葉に対して投影するイメージにはずれがあるということです。
ある言葉に対して抱くイメージは同一言語話者であれば、大まかには同じなのですが、
細かく深く他者を理解しようと試みるとき、そのイメージのずれが問題になってきます。
同じ言葉を用いていても、人によってその言葉に投影するイメージ、意味の幅、ニュアンスが微妙にずれているということがあります。
また同じ感情を抱いていたとしても、それを表す言葉が人それぞれに違うという場合があります。
今仮に、AさんとBさんの二人が会話しながら全く同じ感情を抱いてしたとして、
Aさんはそれを「寂しい」という言葉で表現し、Bさんがそれを「悲しい」と表現した場合、
AさんとBさんは自分たちが全く同じ感情を共有しているとは気が付けないでしょう。
一人一人がある言葉に投影するイメージがそれぞれに異なるため、
同じ感情に別の名前を付けていたり、別の感情に同じ名前を付けているということが起こり得ます。
この言葉の枠組みの違いが人と人が理解することを難しくする三つ目の構造です。
今見てきたように、人が人を理解するというのは、決して簡単なことではありません。
そんなにも理解することが難しいのならば、人を理解することは不可能なことなのでしょうか?
私はそうは思いません。
もちろん完全に他者を理解することは、大変に難しいことであると思いますが、
人を理解することの難しさを知るのことで、人をより良く理解できるようになると私は考えます。
長くなってしまいましたので続きは次回に。
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