先日伺ったお宅で、親御さんとお子さんのお話させて頂く中で感じたことがありました。
変化はまず目に見えない形で起こる、ということです。
目に見える形で認識されたときに、人はそれを初めて変化と認識することが多いのですが、
それよりも随分前の段階でその人の中に既に変化が起きていることが多いということです。
目に見えないものをどうやって認識するのか?
「私には目に見えないものが見えるのです」などと如何わしいことを言おうとしている訳ではありません。
目に見えないものであってもそれをそれと認識する方法はあります。
それを説明し出すとまた長くなってしまいますので、別の機会に譲りますが、
その目に見えないレベルの小さな変化に気づける人間でなければ、との思いを一層強くした出来事でした。
先日のブログでは働くことを考える際に発せられる、
「何がしたい」、「何が好き」、「何が向いている」といった問の根本的なずれについて綴りました。
仕事とは、困難を抱える他者、欲求を満たしてほしいと願う他者の誕生と同時に生まれるものです。
しかし「何がしたい」、「何が好き」、「何が向いている」などの問の中には、自分に対する視点ばかりで他者が登場することはありません。
他者との関わりの中で生まれる仕事に関して問う時に、そこに他者が存在しないことに私は大きな違和感を抱きます。
そのような問から仕事を考え始めることが、働くということを余計にわかりづらくしているのだと思います。
それでは働くことを考える際、私たちはどのような問いからスタートしたら良いのでしょうか?
私が考える、働くことについて考える際に、まず発せらるべき問は、
「この世界にはどのような困難をまたは欲求を抱える他者がいるのだろうか?」
そして「それに対して私は何が出来るだろうか?」
というものです。
仕事が、他者の困難を解決すること、他者の抱える欲求を満たすことである以上、まずここから始める以外にないはずです。
他者に対する視点を持って、その困難に、または欲求に対して自分に何が出来るのかを問うことから始めることが必要であり、
自分が何がしたいかとか、自分が何が好きかなどは、働くことと全く関係がないとは言わないまでも、決して第一に考えることではありません。
こういう風に書くと、「それは仕事に自分のやりがいなど求めるなということでしょうか?」という質問が来ることが多いのですが、それは違います。
仕事からやりがいを得る事はできます。
ただそのやりがいの獲得の仕方が、例えば休日に自分のやりたいことをやって「ああ、自分のやりたいことをやっていると、とてもやりがいを感じるなぁ」という分かりやすい獲得方法とは少し違うということです。
仕事のやりがいについて考えるとき、私には印象深いエピソードがあります。
昨年春に、イチロー選手がプロ野球選手を引退されましたが、その時の引退会見を聞いたときのことです。
イチロー選手は子どもの頃からプロ野球選手になることを夢見て、実際にその夢を叶えられた方です。
子どもの頃からの夢を叶えたのだから、きっと楽しいプロ野球人生だったのだろうと短絡的な私は考えていたのですが、
イチロー選手は「野球が楽しかったのは94年(プロ3年目)まで」と発言していました。
それ以降は結果を残さなければならないという重圧との戦いだったそうです。
子どもの頃からの夢を叶えた人でさえ、仕事は必ずしも楽しいものではなかったのです。
それなのに何故現役生活を28年も続けることが出来たのでしょうか?
同じ会見でこのようにも言っています。
「ファンの方無くしては自分のエネルギーは全く生まれない」
これが仕事のやりがいの獲得方法に対する答えです。
仕事のやりがいとは、「自分の好きなこと」「自分のしたいこと」をすることによって獲得するものではなく、「他者の喜びを通じて」獲得するものだということです。
「自分がそれを好きか」とか「自分がそれをしたいか」に関係なく、他者の求めに応える形でまず私が何かを為す。
その私が為したことによって他者の抱える困難が軽くなる、または欲求が満たされることによって他者が満足する。
その他者の満足のうちに自分の満足を得る。
仕事のやりがいとはこのように、他者の喜びを迂回するという仕方で獲得するものだということです。
そのためにはまず他者の喜びを自分の喜びと感じられる人間である必要があるのですが、そのような人間になるために私たちは何をすればいいのでしょうか?
長くなりましたので、続きは次回。
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1 reply on “仕事に関する第一の問、そしてそのやりがいについて”
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