早いもので5月も後半に入りました。
街はウイルス禍から少しづつその日常を取り戻し始めているようです。
子どもたちに話を聞くと、学校も6月から再開されるとか。
喜んでいる子、もうちょっと休みたがってる子、不安そうな子。
その表情は様々です。
高校生の時の自分だったらどうかと考えてみました。
きっとまたあの沈鬱な日々に戻るのかと、深いため息をついていただろうと思います。
あの環境は私にとって本当に苦痛以外の何物でもありませんでした。
学校再開に不安な表情を浮かべる子の姿に昔の自分が重なって見えました。
前回のブログでは、
社会のあらゆる組織に株式会社の運営ルールが適用されるようになっていること、
しかし、医療、教育、行政など、そのルールを適用してはならない領域があること、
そして、その理由を教育を例に取って考えてみました。
それでは、その社会の株式会社化から学校は守られているのでしょうか?
私の考える答えは否です。
先日のブログで私は、社会の株式会社化は、2000年代前半くらいから始まったのでは、と綴りましたが、
日本における不登校の歴史を考えると、それはもっと以前から始まっていたのだと分かります。
日本で不登校(当時は登校拒否と呼ばれていました)が報告され始めたのは、1960年代に入ってからのことです。
その当時は、母子分離不安論、自己像脅威論、自我未成熟論など、その原因を個人に帰する考えが主流でした。
しかし、1970年代半ばに、それまで緩やかに減少傾向であった不登校の数が急増すると、その原因を学校という構造の問題と考える、学校病理論が主張されるようになります。
それでは1970年代半ばに何があったのでしょうか?
そこを考えてみると不登校を生み出す社会構造が理解出来ます。
1973年、第四次中東戦争に端を発するオイルショックが日本経済を襲います。
その年を境に日本は不況に突入し、戦後の高度経済成長の時代から、低成長の時代へと移り変わっていきます。
その影響が社会に色濃く出始めたのが1975年です。
翌年春の新規採用者数が40%減、有効求人倍率は前年の半分にまで落ち込みました。
中高生の子どもを持つ中高年の雇用環境も悪化します。
企業は大量の配置転換や出向を実施、一時休業や希望退職者を募る会社も現れます。
そのような大人の社会の変化は当然、子どもたちの社会にも変化をもたらします。
将来に対する不安を受けてでしょう、この年代からいわゆる「受験競争」と言われるものが苛烈になってゆきました。
社会構造の変化によって、大人の世界も子どもの世界も、生き残り競争が激化し始め、それとリンクして子どもたちの不登校は急増した。
それが1970年代半ばに起きたことです。
※参考図書:共に待つ心たち ~登校拒否、ひきこもりを語る~ 高垣忠一郎 著
社会の構造変化が、大人社会に生き残り競争をもたらし、その結果子どもたちの社会も過度に競争的になり、不登校という現象になって現れる。
この構造はその当時から今までずっと続いています。
つまり社会の株式会社化の影響を受けて、教育の現場にも過剰な評価の眼差しが持ち込まれてしまっている。
日々子どもたちと関わる中で私はそのように感じています。
その証拠に、少子化の影響を受け子どもの数は減っているのに、不登校の数は増えています。
つまり、苛烈な競争を煽られるような環境に身を置くことを拒む子どもが増えているのです。
このように過度に競争的で、評価の眼差しに偏った社会の構造が、子どもたちの不登校を引き起こす要因になっています。
それでは、競争に晒されること、評価されることに疲れ、動けなくなった子どもたちに必要なものとは何でしょうか?
長くなりましたので、また次回。
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