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二つの眼差し ~何が車を走らせるのか?~

お陰様で先日、我が家の息子は一歳五か月になりました。

だいぶ意志の疎通が出来るようになってきて、「お父さんはどこだ?」と聞くと、私の顔を指さしてくれるようになりました。

仕事が早く終わった日は、家に帰って一緒にお風呂に入ります。

一緒に湯船につかりながらあれこれおしゃべりしていると、これ以上望むものは無いなぁと思えます。

早く大きくなってほしいような、まだ赤ちゃんのままでいてほしいような、複雑な気持ちです。

生まれてきてくれたことに、親にしてもらえたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

先日仕事の合間に、頭を休めたくなって、川辺に行きしばらくボーっと一人流れを見つめておりました。

ボーっとしているときというのはあれやこれやと様々思い出されてくるものです。

その時、だいぶ前にいつもお世話になっている車屋さんから借りた本のことを思い出しました。

その中にあったエピソードがとても示唆に富む話で、これはいろいろなことに通じる概念だなぁと思い、いつかブログに書こうと思っていたのでした。

お借りしたのは「退歩を学べ ~ロボット博士の仏教的省察~」という本です。

著者の森政弘さんは、東京工業大学の名誉教授で、工場の製造ラインで使われているロボットアームや、心臓手術に欠かすことが出来ない人工心肺の自動制御システムなどの研究に携わってこられた日本のロボット研究の第一人者です。

森さんは、研究の傍ら三十年以上にわたり禅の修行を行ってこられました。

その中で得られた仏教的視点から、「退歩」という考えの必要性を訴えます。

森さんは、進歩至上主義が行き詰まりを見せる今の世の中を、部屋に迷い込んでしまいそこから脱出するためにガラス窓にぶつかり続けるハエに例えます。

ハエは脱出するために前に進むことばかりを考えているが、いったん退き全体像を眺めてみれば、ガラス窓の隙間に気が付き出ていけるものを、その視点が得られずにいつまでも同じことを繰り返してしまう。

このハエのように前に進むことばかりを考えて行き詰っている人間の世界も、「退歩」を学ぶことで再び前進できる、と森さんは主張します。

これだけでも相当示唆に富むお話なのですが、私がより深い感銘を受けたのは、本田技研の創業者、本田宗一郎さんとのエピソードです。

ある日森さんと本田さんは、車の構造についてお話されていました。

本田さんからこのような問いが投げかけられます。

「走るために必要なのはアクセル、止まるにはブレーキ、これで良いか?」

この問いに森さんは「それでよい」と答えたのですが、本田さんから以下のように叱り飛ばされたと言います。

「君な、アクセルだけで走れるのなら、あそこに停めてある私の車のブレーキを外してやるから、それに乗って走ってこい」

そう言われて初めて著者は、車が走るためにはアクセルとブレーキの両方が必要不可欠であることに気が付きます。

アクセルとブレーキ、この相反する二つの作用がバランスして、初めて車は走ることができるということです。

これは何も車の制御だけに言えることではありません。

次回に続きます。

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