前回の記事では、災害時に即時的に現れる助け合いのコミュニティを「災害ユートピア」と呼び、様々な国、様々な時代の災害時に確認されている、ということを綴りました。
それではなぜそのようなコミュニティが生まれるのでしょうか?
今日は私が先日観たテレビ番組の内容と絡めながら、その理由を考えてみたいと思います。
先日観たのはNHKスペシャルの「人類誕生」という番組です。
その中で、ネアンデルタール人とホモサピエンスの生活様式の違いが紹介されていました。
人類は、その誕生から数百万年かけて、猿人、原人、旧人、新人という経路をたどり進化してきました。
ネアンデルタール人は、旧人に属し、約40万年前に地球上に現れ、最盛期にはヨーロッパを中心に2万人が生活していたと考えられています。
旧人というと知的に劣ったイメージを抱きますが、ネアンデルタール人は、現生人類より大きな脳容積(1550mlほど)を持ち、装飾品を身に着けたり葬礼の習慣を持つなど、高度な文化を持っていたことが遺跡調査によって分かっています。
そして我々ホモサピエンスですが、もちろん新人に属し、約20万年前に中央アフリカに現れ、その後グレートジャーニーを経て世界中に広がって行きました。
その旅の途中、今から約5万年前には、ヨーロッパでホモサピエンスとネアンデルタール人が共存していた時代があり、両者の間で種の交雑があったこともDNAの解析から明らかになっています。
両者の生活様式は大きく異なりました。
骨格も太く屈強な身体を持っていたネアンデルタール人は、原始的な石器を用いて数人の集団で大型草食獣に肉弾戦を挑み狩猟を行っていました。(ネアンデルタール人の骨からケガや骨折の痕跡がたくさん発見されています。)
一方のホモサピエンスは、ネアンデルタール人に比べ華奢な体つきだったため、大きな獣を狩ることはできず、自分たちより体の小さな草食動物を捕え生きながらえていました。
しかしその両者の優劣関係は数千年の間に逆転します。
体格で劣るホモサピエンスは、ネアンデルタール人のコミュニティ(最大20人程であったことが分かっています)より大きなコミュニティ(最大150人規模)を形成し、大人数で獲物を追い込み、高度な狩猟道具を使って狩りをするようになっていきました。
番組の中では、この狩猟道具の進化と、コミュニティの規模が両者の優劣を逆転させた要因だと述べられていましたが、私はこの集団形成が一番大きな理由だと感じました。
大規模な集団を形成すれば、その中には狩りの作戦を考えるのが得意なものがいたり、手先が器用で道具作りに長けているものがいたり、集団を統率することに秀でたものがいたり、得意分野を持ち寄って助け合うことが可能になるからです。
一方のネアンデルタール人は、狩猟道具やコミュニティ規模に大きな進化が見られず、屈強な体と大きな脳を持っていたにも関わらず、約3万年前に地球上からその姿を消してしまいます。
なぜホモサピエンスは血縁関係を超えてこのように大きな集団を形成できたのでしょうか?
その答えは脳の構造にありました。
ホモサピエンスの脳容積はネアンデルタール人のものより小さいのですが、社会性や共感性を担う前頭葉や頭頂葉が大きく発達していたため、血縁関係を超えた他者と協力し生きていけたというのです。
つまり、ホモサピエンスの生存戦略とは、一人一人が強い個になることではなく、他者と協力し合う大きな集団を形成することだったのです。
その証拠になるような実験も番組内で紹介されていました。
生後数か月の赤ちゃんに、三匹の動物の指人形劇を見せます。
真ん中の人形が一生懸命箱を開けようとしています。左側の青い服を着た人形はそれを邪魔し、右側の黄色い服を着た人形はそれを助けようとします。
劇を見せたあと、赤ちゃんの前に青い服の人形と黄色い服の人形を差し出すと、ほぼすべての赤ちゃんが黄色い服の人形に手を伸ばすのだそうです。そしてその結果は服の色を変えて実験しても同じでした。
この実験からわかることは、生後数か月の赤ちゃんでさえ、他者と協力関係を築く個体を好ましく感じるようになっているということです。
だいぶ説明が長くなってしまいましたが、「災害ユートピア」の話をしていたのでした。
今見てきたように私たち現生人類の生存戦略が、他者と協力し合う大集団を築くことであると分かれば、非常時になぜ即席の助け合いのコミュニティが形成されるのか、その理由も自然と納得できます。
ひとまずの結論として言いたいことは、協力し助け合うコミュニティを形成することで私たちの祖先は生き延びてきた、その生存戦略が現代の私たちにも本能のレベルで刷り込まれているからこそ、危機的状況に際会したときそこに災害ユートピアが形成されるのだということです。
そしてこの続きとして、コミュニティというのは自分の外側にいる他者とだけ形成するものではなく、自分の内にいる他者とも形成するものです、という話をしたいのですが、大変長くなってしまいましたので、また次回。
続きます。