ここ数日、一緒に学習をしている子どもたちから、
「こんなこと勉強しても大人になったら使わないでしょ!」
という言葉を頂きました。
確かに二次関数や三角比、電磁誘導の法則を大人になってから使う人より、使わない人のほうが圧倒的に多いことでしょう。
「使わないものを学んでもしょうがないじゃないか」
私自身、高校生の時にsin、cos、tanを習いながら、
「これはいったい何のためになるのだろうか?」
と思っていた記憶がありますから、その疑問も分からないではありません。
ただ大人になって思うことは、
「意味が分からないことを簡単に切り捨てないでほしい」
ということです。
理由は二つあります。
~学ぶ前の人間にその意味は分からない~
一つ目。
何かを学ぶ前の人間が、それが無意味か否かについて判断を下すことは不可能だからです。
それを学び取る前の人間には、それを学び取った後、
自分の世界がどのように変化するのかを想像することができないということです。
人間の変化には量的変化と質的変化があります。
今までできていたことを、今までよりも速く、多く、広範囲に出来るようになること、それが量的変化です。
例えば今まで自転車で移動していたけど、車の免許を取得することでもっと速く移動できるようになった。
これは量的な変化です。
一方、それを学ぶことで、物事の見え方、価値観が変わること、そんな世界があると初めて知ること、それが質的変化です。
例えば赤ちゃんが言語を学び取ること、これは質的変化です。
質的変化とは、物事の見え方、価値観が変わることと書きました。
それには今までの自分の価値判断体系を変化させることが必要なので、学ぶのにそれなりの負荷がかかります。
今までの自分の思考フレームを組み替える作業が必要になりますから、当然苦痛も伴うでしょう。
そして質的変化によって変化した自分の姿というものを、その情報に触れ変化する前の人間が、事前に想像することは難しいのです。
だからそれを学び取る意味も、それを学び取る前の人間には良く分かりません。
例えば想像してみてくだいさい。
赤ちゃんが言語を習得する前に、言語を習得することで自分はこのようなことが出来るようになる、と想像することは可能でしょうか?
赤ちゃんが言語を学び取った意味が分かるのは、言語を学び取った後なのです。
学び取った後になって初めて、
「言葉を学ぶことによって私はこのような事が出来るようになったのだ」
と事後的にその意味を知ることになるのです。
質的変化をもたらすような学びであればあるほど、それを学ぶ前の人間がそれを学ぶ意味を理解することは難しいものなのです。
だから、学び取る前から短絡的に「そんなものには意味がない」と意味付けることをしないでもらいたい、
というのが理由その一です。
長くなりましたので、続きはまた次回。