前回のブログでは、
・中高生、大学生の読書離れが進んでいること
・文章を読み解く、記述する力が低下していること
・ゲーム、スマホなどが子どもから独りで思考する時間を奪っていること
について綴りました。
前回は読書をしないことによって失われるものについて書きましたが、
今回は読書によって得られるものについて考えてみたいと思います。
~地平線の向こう側~
私は普段あまり積極的にテレビを見ません。
テレビの世界で展開される話は、結局商業主義という小さなコップの中の出来事でしかなく、
そのような情報に触れても、自分自身の世界観、人間に対する理解、そういったものが広くなる、または深くなることがほとんどないからです。
それではなぜ本を読むのか?
それは本を読んでいると、テレビとは逆のことが度々起きるからです。
自分が世界だと思い込んでいたものの向こう側にも、実は世界が広がっていたのだと気づかせてくれる。
本の世界にはそのような出会いがたくさんあるから私は本を読み続けるのです。
そしてそのような話に触れ新たな価値観を得ることで、
自分が今まで絶対視していた価値観への囚われから自由になれるのです。
読めば読むほど新しい価値観に触れられる、本を読むことにはそのような効用があります。
~葛藤を通じて成熟を果たす~
子どもが成熟を果たすためには、様々な価値観に触れることが大切です。
親の価値観、祖父母の価値観、学校の先生の価値観、近所のおじさんの価値観、親せきのおばさんの価値観、塾の先生の価値観。
それら様々な人の価値観が微妙にずれていて、その「ずれ」の中で揺れ動き葛藤する中で、自分独自の価値観を形作り成熟していく。
子どもはこのようなプロセスを通じて人間的に成長していくと私は考えていますが、
今の日本は、かつて存在した家族、地域社会といった共同体がどんどん存在感を失いつつあります。
子どもによっては接触を持つ大人が親と学校の先生しかいない、などという場合もあり価値観のずれに触れる機会がどんどん少なくなっています。
そんな中で、様々な人の様々な価値観に触れ、自分の中にすでにある価値観と新しい価値観のずれの中で葛藤する経験出来るのが本の世界なのです。
~認知する力~
人はどのように物事を認知するのでしょうか?
目に見えるもの、触れられるものであれば、それがそこに存在することを認知するのは比較的簡単です。
それでは目に見えないもの、触れられないものの存在を認知するにはどうしたらよいでしょうか?
それはそれを現す言葉を得ることです。
例えば、オーストラリアの先住民の中には、左右という概念を持たない言語を話す部族がいるそうです。
色も形も質感も大きさも同じだけれど、左右が逆になっている例えば右手と左手のような関係にある物体同士を鏡像関係にあると言いますが、
その言語を話す部族は、この鏡像関係にある二つの物体を異なるものとは認識できないのだそうです。
つまり左右という概念を持たない人たちから見ると、たとえそこに違いがあったとしてもそれを違いとは認識できないということです。
このように人は言葉を通してある概念を得、その概念を通して世界を認知します。
そしてそれを表す言葉を知らなければ、その概念を認知することは出来ないのです。
つまり言葉を得ることで、人は目に見えない、触れられない概念を理解し、その概念を通じてより世界を広く、深く、細かく認知できるようになるということです。
~抽象的概念を理解するために~
小学生を悩ませる概念の一つに、算数の割合があります。
割合とはある数に対するある数の比のことで、それは目に見えない概念です。
この割合という概念の理解が難しい子と容易な子がいます。
すべてそうとは言い切れませんが、割合を理解しやすい子は読書が好きな子が多いです。
それは読書を通じて得た言葉を通して抽象的な概念を理解できるからだと私は考えています。
小中高校生に教えていて思うのは、学習進度が進めば進むほど、扱う内容の抽象度は増していくということです。
この間高校生と一緒に読んだ論説文の題材は、話し言葉と書き言葉、印刷された言葉と手書きの言葉の差異について、というものでしたし、
高校数学の一番難解な数学Ⅲの領域では、この世界には実際に存在しない複素数平面などという概念が登場します。
学習進度が増せば増すほど、この抽象的な概念を理解する力、つまりどれだけたくさんの言葉を持っているかが、その子の理解度を左右してきます。
言葉を得るためには、沢山の言葉に触れることです。
たとえ難しい言葉があったとしても、辞書で調べながら本を読み続けることで、
私たちは沢山の言葉を得て、さまざまな概念を認知できるようになっていくのです。
今回のブログでは、本を読むことで私たちはいったい何を得られるのか、私見を書かせて頂きました。
「大切なのは分かったけれど、読まないんですようちの子は。」
そんな言葉も聞こえてきそうなので、どうすればお子さんが本を読むようになるかについて次回は考えてみたいと思います。