人が抱える悩みとは「かくあるべし」という価値観がもたらすもの。
そしてそれは結局力を持つ誰かの都合で決められたものでしかない。
昨日のブログではそのようなことを綴りました。
今の日本を覆う価値観。
それは資本主義です。
拝金主義と言い換えてもいいかもしれません。
効率的であるべし。
お金を儲けるべし。
競争に勝つべし。
一人一人の「こうしたい」「これが好き」という価値観を押しつぶすように、
資本主義は私たちに様々な「かくあるべし」という価値観を押し付けてきます。
資本主義が私たちに押し付けてくる価値観、そのいくつかを挙げてみたいと思います。
・GDPというモノサシ
GDP(国内総生産)の多寡が、その国に住む人の幸せを決めるかのような価値観があります。
その国の経済活動の活発さが、その国に住む人の幸福度を決めるという信仰です。
戦争に使われる武器を生産しても、
環境を破壊するような公共工事をしても、
未来に負の遺産を残すような原発を動かしても、
長い目で見たときに、必ずしも人の幸せに資することなき活動をしても、
それらの経済活動はすべてGDPとしてカウントされ、
それがまるで人の幸福度を表す指標であるかのように用いられています。
・実学志向
仕事柄、子どもたちの進路相談を受けることが多いです。
今の学生たちは、自分の進路を選択する際、自分がしたいことよりもそれがお金になるかどうかで進路を選択する場合が多いです。
自分の「○○が好き」「○○がしたい」という欲求に従うよりも、「お金になるか否か」という価値観に従って自分の将来を決める。
事の良否は一端脇に置いておいて、そのような傾向があります。
そしてそれは、そっくりそのまま私たち大人の傾向でもあります。
・安いもの=良いもの
私たちがものを買う際、知らず知らずこの価値観に縛られていることが多いのではないでしょうか?
たとえそれが環境汚染を引き起こすような生産方法で作られた食べ物だとしても、
たとえそれが生産者の健康を害するような労働環境で作られた服だとしても、
製品の値段さえ安ければそれでいいじゃないか。
その価値観が私たちの消費行動を気づかないうちに決めている。
そういうことが多いのではないでしょうか?
今見てきたように、本当に一人一人の幸せに寄与するかどうか分からない価値観を、資本主義は押し付けてきます。
そしてそれがその価値観のもとで生きる人を苦しめている。
私にはそんな事例が多いように感じられます。
私は前職で産業廃棄物処理工場で働いておりました。
そこには毎日毎日大量のゴミが運び込まれてきます。
その中には、便利な製品を作る過程で排出される有害物質がたくさんありました。
どんなに便利な製品を作っても、その裏では大量の有害物質が出ることを知りました。
まだ食べられるレトルト食品やアイス、まだ使えるマスクや入浴剤やホッカイロ。
製品自体には何の問題もないにも関わらず、在庫処分の名のもとに大量廃棄されていることを知りました。
確かにお金にはなるかもしれないけれど、果して自分のやっていることが人の幸せに寄与することと言えるのだろうか?
仕事をしながらずっと悩んだ末に、私は会社を辞めました。
資本主義という世界を覆う価値観。
それはそのシステムの中で力を持つ者から押し付けられた価値観でしかないのですが、
かつての私のように、その中で苦しみながら生きている人がとても多い。
これは単なる主観でしかないのかもしれません。
でも、今の世の中は私の目にはそのように映ります。
続きます。