昨日のブログでは、優しさについて綴りました。
優しさには、受容する母性的優しさと、区別する父性的優しさがあり、
その両方がバランスして初めて優しさとして機能する。
寛容さと厳しさ、二つあって初めて優しさなのだ。
そんな内容を綴りました。
今の日本には、子どもを叱るという父性的優しさが欠如しています。
感情的になって子どもに怒りをぶつけることはあっても、
理路整然とダメなものはダメ、こうしなさいと諭す父性的優しさがありません。
また子どものやりたいようにやらせています、と言いながら、
それが母性的優しさを装った無関心であることも多いように私は感じます。
感情的に怒ることも、無関心も、意識の矢印が自分自身に向かっていて、子どもの方を向いていません。
子どもたちはその大人の無関心を敏感に感じ取り、わざと関心を引くために問題行動を起こす場合も多いのです。
母性的優しさ、父性的優しさ、優しさにはこの二種類がありますが、
先日も綴りましたが、心の中に自分は自分であって大丈夫なのだという安心感があるからこそ、
人間は外の世界に関心を持ち、一歩を踏み出していけるようになるのです。
その安心感が足りない時に、まず必要なのは、受け容れること、母性的優しさで包摂してあげることです。
それでは、母性的優しさで受け容れる、包み込むとは、具体的にどんなふるまいをすることでしょうか?
続きます。