気持ち一杯になって動けなくなった子どもにまず必要なこと。
それは、学校に行かないと大変なことになる、と脅すことでも、
無理やり手を取って学校へ連れていくことでもありません。
気持ち一杯になって動けなくなった時、まず必要なのは、安心できる環境で休むことです。
周囲の大人がお子さんの辛さを受け容れてあげることです。
それでは、受け容れるとは具体的にどうすることを言うのでしょうか?
受け容れるとは、好き放題にさせる、なんでも許す、言いなりになる、ということではありません。
例えば、ゲームやネットを好き放題使わせる、欲しいものは何でも買い与える、暴力、暴言に対して抗わない、など。
そういう対応を受け容れるとは言いません。
ゲーム・ネット依存、買い物依存、家庭内暴力などの問題行動を通じて、子どもたちが発しているメッセージとは何でしょうか?
それらの問題行動を通じて子どもたちが発しているのもの。
それは「こっちを見て!」というメッセージです。
誰かに優越することで、周りの大人の関心を得られなかった子どもは、
今度は誰かより劣等することで周りの関心を得ようとします。
必死でいい子を演じてきてそれでも関心が得られなかったから、
今度は問題行動と言われるものを通じて、周りの関心を得ようとする。
そして、なぜ自分はこのようなことをしてしまうのか、その動機には本人さえも気づけないことが多いです。
人は認めてしまうと辛くなるような感情を、自分自身にさえ隠蔽してしまうからです。
このように問題行動とは、心の深い部分にある感情が特定の方法をとって表出しているに過ぎないので、
いくら好き放題やらせても、本来得たいものが得られないために、量的に増大しエスカレートしていくだけなのです。
受け容れるとは、好き放題させる、何でも許す、言いなりになる、そんなことではありません。
受け容れるとは、褒められるための努力も、叱られるための努力も、何も必要ないのだよと、
言語的、非言語的方法を通じて子どもたちに日々伝え続けることです。
続きます。