前回のブログでは、聴き方の技術的な面、傾聴について綴りました。
自分が話すのは得意だけれど、人の話を聴くことは苦手という人は多いのではないでしょうか?
なぜ話を聴くことは難しいのでしょうか?
一つには、「聴く」ということが具体的にどうすることが分からないからだと思います。
これに関しては、「聴く」とはどういうことかを前回、前々回のブログにて綴ってきました。
もう一つの理由は、自分が話を聴いてもらっていないから、という理由があります。
人は誰かに話を聴いてもらうことで、人の話を聴けるようになるものです。
だから人の話を聴ける人とは、誰かに話を聴いてもらったことのある人です。
なぜ人に話を聴いてもらうと、人の話が聴けるようになるのでしょうか?
人が誰かの話を聴けるときとは、どんな時でしょうか?
逆に人が誰かの話を聴けないときとは、どんな時でしょうか?
人が話を聴けないとき、それは自分自身が心の穏やかさを失っている時です。
心に余裕がない時、人は誰かの話を聴くことはできません。
裏を返せば、心穏やかな時は人の話を聴けるということです。
自分がつらかったときを思い出しながら、そのことを日記に記すだけで、
高血圧、関節リウマチ、うつなどの症状が改善されるという医学的データがあります。
人が心身を壊すとき、心のバランスを崩すときいうのは、自分の心の中が押し込めた感情でいっぱいになっているときだったりします。
その味わい難く押し込めた感情を、書くという行為を通じて自分の外に出し、
感情を味わい直すことでカタルシス(感情の浄化)が起こり、
心身の不調が改善することが、医学的にも証明されつつあります。
参考図書:日記を書くと血圧が下がる 体と心が元気になる「感情日記」のつけ方 最上 悠著
心の中に様々な辛いことを押し込めすぎると人は余裕をなくし、心身のバランスを崩してしまうものなのだと思います。
その辛い気持ちを日記という形で外に出すことで、心身の健康も取り戻せるということです。
人に話を聴いてもらうことも、辛い気持ちを外に出すという点で、日記と一緒です。
聴き手が、自分の考えを差し挟むことなく傾聴することで、話し手は辛い感情を味わい直し、
一杯になっていた気持ちに少しだけ余裕ができます。
その出来た余裕の分だけ、他者を受け容れられる心のゆとりが生まれ、人の話を聴けるようになるのです。
だから技術的なことを知っていても、聴くことができないのは、
その人の気持ちが一杯なのにも関わらず、人から話を聴いてもらったことがないからです。
もし今ご自身が、お子さんの話を聴けないのなら、それはご自身が誰かに話を聴いてもらう必要があるからかもしれません。
話の聴き方を分かっている人がもし身近にいらっしゃるならば、ぜひ一度話を聴いてもらうことをお勧めします。
そしてもし誰かに話すことに抵抗を感じられるならば、先ほど紹介したように、日記を書いてみるというのも一つの手段です。
続きます。