前回のブログでは、「あなたのためを思って」という愛情を偽装した「欲望」ではなく、
「愛」を持って子どもと接することが大切なのではないか、と綴りました。
「愛」とは、「相手が相手らしく幸せになることを喜ぶ気持ち」でした。
そしてそれは、相手に関心を持つことから始まる、関心の矢印を相手に向ける事、と綴りました。
では、具体的にそれは何をすることなのでしょうか?
私が思う、関心の矢印を相手に向けるとは、相手の話を聴くことです。
「聴く」と「聞く」の違いを考えたことはありますか?
字が違うということは、この二つの言葉の意味するものも当然違います。
「聞く」とは、こちらが受け取る意志がないのに情報が耳に入ってくることです。
「聴く」とは、相手の発する言葉を能動的に受け取り、関心をもって分かろうとすることです。
「聴く」とは、自分の考えを相手にアドバイスすることと勘違いされることがよくありますが、それは相手を分かろうとする行為ではなく、
「ああ、この人は要するにこういうことで悩んでいるんだ」と高をくくって分かった気になって、
自分の思う正解を相手に押し付けることで、それは「聴く」とは真逆の行為です。
またそのようにアドバイスをしてしまうと、相手は「この人は自分を分かってくれていない」と自分の殻に閉じこもってしまったり、
再び困ったことがあっても、自分で解決できず依存的になってしまったり、という結果を引き起こす場合が多いのです。
「聴く」とはそのようにアドバイスという形で自分の「欲望」を相手に押し付ける行為ではなく、
その人がその人らしく生きていけるように、解決する力はその人の中にあるのだと信じ、
相手の脳内整理作業を手伝うようなイメージ、「愛」に基づいた行為なのです。
よくご家庭から「子どもが話を聴いてくれない」というご相談を受けますが、
それはお子さんが普段から話を聴いてもらっていないと思っている証拠かもしれません。
人間関係には返報性というものがあります。
相手から受け取ったものを相手に返そうとする性質のことです。
例えば、相手から温かい言葉が届けば、自分も温かいを相手に返そうとしますし、
冷たい言葉を受け取れば、やはり冷たい言葉を相手に返そうとしてしまいがちです。
そういう返報性の観点から考えれば、話を聴いてもらえないのは、
もしかしたらご自身が普段からお子さんの話を聴いていないからかもしてません。
裏を返せば、ご自身がお子さんの話を聴けるようになれば、お子さんも親御さんの話を聴いてくれるようになるということです。
ただそれは決して、「親の言うことを聞く」「聞き分けがよくなる」という意味ではありません。
話を聴く目的は、親の言うとおりにする子聞き分けのよい子を育てるためではなく、その子がその子らしく生きられるようにサポートするためです。
「聴く」というのは、相手が相手らしく幸せになることを喜ぶ、「愛」から生まれる振る舞いなのです。
それでは、話を聴くとは具体的にどのような行為なのか、次回綴ってみたいと思います。
続きます。