前回、前々回のブログでは、
・WHOが、ゲームに依存して生活に支障をきたす状態を「ゲーム障害」という疾患として認定したこと。
・中国や韓国ではその対策が進んでいるにも関わらず、日本ではそれが問題であることさえ認識されていないこと。
・私自身が日々子どもと接していて、イライラしやすい、集中力がない、目がうつろなどの子どもたちが増えている印象を持っていること。
・健康よりお金を重視するような世の中の雰囲気だからこそ、大人が考えなければいけない問題であること。
を綴りました。
ゲーム障害に限らず、アルコール依存、買い物依存、ギャンブル依存などの依存症には共通の構造があります。
それは、本当に欲しているものが得られず、それを代償行為で満たそうとするが、そもそも本来求めているものと質が違うため、どんどん量的に増大していく、という構造です。
それでは何かに依存してしまう人が本来求めているもの、その「質」とは何でしょうか?
インターネット・ゲームに依存していしまう子どもが、そこで得られるものの一つは、一緒にチームを組んでプレイする人たちからの承認、繋がりだと言われています。
本来ならば、学校や家庭の中で得られるはずの承認や繋がりが様々な理由から得られず、それを求めてゲームの中に没頭してしまう。
そういう側面があるのです。
ゲームに依存してしまう子どもが求めているものは、繋がり、ぬくもり、関心、承認。そいういったものではないでしょうか?
それが得られないから、ゲームという代償行為で満たそうとするけれども、それは本来ほしいものとな全く手触りの違う別の何かのため、満足が得られず、どんどん量的に増大していってしまうのです。
ゲームに依存しているなら、子どもにゲームをやめさせればいい、取り上げればいい。
それも確かに必要な対応です。
私は、ダメなものはダメと親が子どもに対して毅然とした態度で接することも、愛情表現の一つであると考えます。
ただ力で押さえつけるだけでは、夜遊び、自傷行為、家庭内暴力など、別の形で自分の心の苦しさを表出することになるでしょう。
子どもが本来求めているもの、それは周囲の人からの関心、ぬくもり、承認です。
そういう、その子の心が抱え込んだ寂しさに手を当ててあげるような対応が、根本的な解決のためには必要だと私は考えます。
続きます。