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ひきこもれ

例えばトイレに入ったとき。

例えばお風呂に入っているとき。

例えば黙々とジョギングをしているとき。

例えばカフェでボケーっとしているとき。

ずっと考えていても分からなかったことの答えが分かったり、ずっと悩んでいたことの解決策を思いついたり。

私にはそういう経験がたくさんあります。

一人でいる時を「独りぼっち」と悪くとらえる向きもありますが、

私にとって一人で思索にふける時間は本当に豊かな時間です。

 

=「ひきこもる」は悪か?=

世間一般にひきこもることは、良くないこととされています。

例えば、勉強がわからなくなる、社交性が損なわれる、昼夜逆転生活になる、ネット・ゲーム依存症になる、体力が落ちる。

さまざまな弊害が挙げられます。

確かに周囲の大人が適切なケアをしてあげなければ、今挙げたような弊害に陥りやすいと思います。

ただ、私は必ずしも悪いことばかりではない、むしろ得られるものもあると考えます。

私自身、その場の雰囲気に合わせるのがつらくて仕方なかったけれど、それでも我慢して学校に通い続けた高校三年間でした。

辛さに耐えながら我慢して通ってはいましたが、授業の内容などろくに頭に入ってきませんでした。

私のように無理して通い続けても何も得るものがないならば、むしとそういう場所から退いて一度ひきこもってみるのもありなのではないでしょうか?

周りにいる大人が適切な配慮さえしてあげれば、ひきこもることによって得られるものはたくさんあると感じます。

 

=複眼で見よ=

昭和を代表する思想家の吉本隆明さんは、著書「ひきこもれ」の中で、ひきこもることでその人の中に「第二の言語」が育つと述べています。

「第二の言語」とは他者とコミュニケーションをとるための言語ではなく、自分が碑文の内面深くとコミュニケーションをとるための言語。

“自分が発して自分自身に価値をもたらすような言葉”、“内臓に響いてくるような言葉”それが第二の言語であると、吉本さんは述べています。

それは世の中と対峙するときに、世間一般の視点とは別の二つ目の視点を得ることと同義なのだと思います。

例えば、三角錐という立体があります。

底面が円で先端が尖がっている、工事現場に置かれているコーンのような形をした立体です。

三角錐は真上から観察すれば円に見えます。

真横から観察すれば、三角形に見えます。

三角錐を三角錐として認識するためには、真上からの視点と真横からの視点を同時に持ち合わせなければいけません。

これと同じように、ある事柄をたった一つの視点から眺めていたのでは、真実とかけ離れた認知をしてしまうのではないでしょうか?

ある事柄を真実のできるだけ近い形で認知するためには、複数の視点からその対象を観察する必要があるのです。

自分自身と深く対話するひきこもる時間を持つことによって、第二の言語、二つ目の視点が得られ、物事を立体的に、より真実に近い形で認知できるようになる。

私はそう考えます。

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