私が学生の頃、勉強して世間的に良い評価の学校に入り、給料の高い安定した会社に入る、という生き方を目指すことが一つの大きな流れだった気がします。
しかしいつ頃からでしょうか、この生き方が成り立たなくなってきているように感じます。
何かを学ぶことのモチベーションが、「自分のため」という範囲を出ない場合、子どもたちは学ぶことの意味が分からなくなってしまうのだろうと感じます。
もちろん、「自分のため」を考えることを間違いだと私は思いません。ただ学ぶことの意味はそれだけではないと考えています。
私の考える学ぶことの意味は、「生き延びる力をつけるため」です。
「生き延びる力」とはなんでしょうか?お金を稼ぐ力でしょうか?作物を育てる力でしょうか?海や川で魚を獲る力でしょうか?
もっと抽象的に考えれば、「生き延びる力」とは誰かの役に立てることであると私は考えます。
人は誰かの役に立ちたいと考える生き物なのではないか、と思う出来事がありました。
私には4歳になる甥っ子がいます。彼がまだ2歳になるかならないかの頃、一緒にごはんを食べている時に、ニコニコしながら私に自分の食べ物を分け与えてくれたことがありました。
2歳の子どもでさえ、人に与えたい、誰かの役に立ちたいと考えるのだなぁと、私にはとても印象的な出来事でした。
人の喜びには、自分が何かを得る喜びと、人に何かを与える喜びの二種類があるのかも知れません。
「こんなこと勉強してなんか意味あるんですか?」
子どもたちのこの言葉は、自分が何かを得る喜びだけでは、学びの動機付けとして弱い、ということを意味しているように感じます。
学ぶことの意味は、生き延びる力をつけるため。生き延びる力とは、誰かの役に立てること、そしてそれは人にとって喜びなのではないか?と書いてきました。
アイディアとは既知の要素の新しい組み合わせである、という言葉にあるように、知っていることが多ければ多いほど、目の前で困難を抱えている人を、新しいアイディアで手助けできるようになるのではないでしょうか。
そして、そういう誰かの役に立てる人間が、人の間で生き延びることができるのではないでしょうか。
学ぶことの動機付けとして、今自分が学んでいることがどのように世の中で生かされており、今自分が学んでいること自体が世の中にとってどのような意味があるのか。
教科書に載っている問題の解き方だけでなく、そういう視野の広い話を伝えることで、子どもたちの学びを動機付けていきたいと考えております。
そのためには、私自身が学び続けなければいけないし、学び続けていきたいと考えています。
そして子どもを学びの世界に誘うのは、大人自身の学び続ける姿なのかも知れません。
「こんなこと勉強してなんか意味あるんですか?」
この問いに対する私の答えは「ある」です。
それを子どもたちと接する中で伝えていくのが、自分にとって大切な仕事です。