前回のブログでは、学ぶために情報が必要ですが、誰でも気軽に情報発信者となれる時代だからこそ、
発せられる情報が玉石混交状態であるという前提で接する必要がある、と書きました。
特に困難の中にあり、気持ちが塞いで弱っているときほど、抱え込んだ不安感や寂しさゆえに、怪しいものに引き付けられ騙されやすくなってしまうものです。
“情報とは差異を生み出す差異である。”
社会学者であるグレゴリー・ベイトソンという頭の良い人は、情報をこのように定義付けました。
この定義を採用するならば、ある情報がまたある情報を生み出すこと、つまり情報とは無限に自己増殖するものであることが分かります。
情報に乏しかった昔とは違い、頼みもしないのに様々な情報が私たちに向かって押し寄せてくる時代。
それは、一人一人が情報とどのように向き合うべきかを考えなければならない時代と言えるのではないでしょうか。
玉石混交の情報が溢れかえる現代で、溺れることなく生きていくために必要なことはなんでしょうか?
私が初めて筑紫哲也さんを知ったのは、高校一年生の春、夜のニュース番組を見ていた時でした。
自分なりの信念を持ち、かといってそれに固執するわけでもなく、それでいて違うと思ったことにははっきりと異を唱えるその姿に、
子どもながらもジャーナリストとしての気概を感じ、かっこいいおじさんだなぁと思ったのを今でも覚えています。
その筑紫哲也さんの著書「若き友人たちへ 筑紫哲也ラストメッセージ」の中に、情報社会で生き抜くためのヒントがあったので、ご紹介したいと思います。
筑紫さんは、Information、Knowledge、Wisdomという三つの言葉を使って、情報社会での身の処し方を紹介されています。
情報社会の中で日々私たちが触れているものが、Information、情報です。
例えば、明日は雨が降るでしょうとか、例えば○○さんが亡くなったとか、例えば、どこそこで交通事故が起きたとか。
しかし、前回のブログでフェイクニュースに言及しましたが、このようなInformation自体、真贋入り混じっていることが多いのが今という時代です。
そのInformationの真偽を確かめるために必要なものが、Knowledge、知識です。
長年時代の風雪に耐え、その真贋を吟味された情報だけが、知識として残り得るわけです。
例えば江戸幕府を開いたのは徳川家康で、その体制は265年続いたとか、
二次方程式の解は、二次曲線と座標軸の交点のX座標であるとか、
権力の暴走を防ぐために、司法、立法、行政の三権を分立させお互いに監視させているとか、
温帯低気圧は温暖前線と寒冷前線の二つの前線を伴い、寒冷前線が通過後はグッと気温が下がるとか、
これらはすべて時代の検証に耐え残り続けた知識です。
このような知識がしっかりと根付いてくることで、日々頼みもしないのに押し寄せてくる情報の真贋を判断し、右往左往することなく生きていけるようになるのです。
そしてその蓄積された知識が、様々な作用によって自分自身で判断していく力Wisdom、知恵に転化していくのです。
この自ら判断する力、Wisdomを得るためにはKnowledgeの蓄積が必要で、一足飛びに手にできるものではありません。
その人が生きる中で経験する様々な作用によってもたらされるものです。
その様々に関してはまた次回のブログに書いてみたいと思います。
情報が溢れかえる世の中で、翻弄されずに生きるためにまず私たちに必要なことは、Knowledge、知識の蓄積です。
そしてそれは大人だけではなく、子どもにとっても同じです。
溢れかえる情報の中で溺れることなく生きていくためには、一度情報の入力を減らし、しっかりとした知識の地図を自分の頭の中に構築する時間が必要なのです。
無知のまま溢れかえる情報の中に身を置けば、自己増殖する情報の海の中で翻弄されることは必至です。
子どもたちと学んでいると、「こんなこと勉強してなんか意味あるの?」という問いを投げかけられることがありますが、
その答えの一つが、情報に振り回されず、その真贋を判断するために必要な知識を蓄積するためです。
続きます。