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情報の海で溺れぬために ~I、K、W~

前回のブログでは、学ぶために情報が必要ですが、誰でも気軽に情報発信者となれる時代だからこそ、

発せられる情報が玉石混交状態であるという前提で接する必要がある、と書きました。

情報の海で溺れぬために ~玉石混交の時代~

特に困難の中にあり、気持ちが塞いで弱っているときほど、抱え込んだ不安感や寂しさゆえに、怪しいものに引き付けられ騙されやすくなってしまうものです。

“情報とは差異を生み出す差異である。”

社会学者であるグレゴリー・ベイトソンという頭の良い人は、情報をこのように定義付けました。

この定義を採用するならば、ある情報がまたある情報を生み出すこと、つまり情報とは無限に自己増殖するものであることが分かります。

情報に乏しかった昔とは違い、頼みもしないのに様々な情報が私たちに向かって押し寄せてくる時代。

それは、一人一人が情報とどのように向き合うべきかを考えなければならない時代と言えるのではないでしょうか。

玉石混交の情報が溢れかえる現代で、溺れることなく生きていくために必要なことはなんでしょうか?

 

私が初めて筑紫哲也さんを知ったのは、高校一年生の春、夜のニュース番組を見ていた時でした。

自分なりの信念を持ち、かといってそれに固執するわけでもなく、それでいて違うと思ったことにははっきりと異を唱えるその姿に、

子どもながらもジャーナリストとしての気概を感じ、かっこいいおじさんだなぁと思ったのを今でも覚えています。

その筑紫哲也さんの著書「若き友人たちへ 筑紫哲也ラストメッセージ」の中に、情報社会で生き抜くためのヒントがあったので、ご紹介したいと思います。

 

筑紫さんは、Information、Knowledge、Wisdomという三つの言葉を使って、情報社会での身の処し方を紹介されています。

情報社会の中で日々私たちが触れているものが、Information、情報です。

例えば、明日は雨が降るでしょうとか、例えば○○さんが亡くなったとか、例えば、どこそこで交通事故が起きたとか。

しかし、前回のブログでフェイクニュースに言及しましたが、このようなInformation自体、真贋入り混じっていることが多いのが今という時代です。

そのInformationの真偽を確かめるために必要なものが、Knowledge、知識です。

長年時代の風雪に耐え、その真贋を吟味された情報だけが、知識として残り得るわけです。

例えば江戸幕府を開いたのは徳川家康で、その体制は265年続いたとか、

二次方程式の解は、二次曲線と座標軸の交点のX座標であるとか、

権力の暴走を防ぐために、司法、立法、行政の三権を分立させお互いに監視させているとか、

温帯低気圧は温暖前線と寒冷前線の二つの前線を伴い、寒冷前線が通過後はグッと気温が下がるとか、

これらはすべて時代の検証に耐え残り続けた知識です。

このような知識がしっかりと根付いてくることで、日々頼みもしないのに押し寄せてくる情報の真贋を判断し、右往左往することなく生きていけるようになるのです。

そしてその蓄積された知識が、様々な作用によって自分自身で判断していく力Wisdom、知恵に転化していくのです。

この自ら判断する力、Wisdomを得るためにはKnowledgeの蓄積が必要で、一足飛びに手にできるものではありません。

その人が生きる中で経験する様々な作用によってもたらされるものです。

その様々に関してはまた次回のブログに書いてみたいと思います。

 

情報が溢れかえる世の中で、翻弄されずに生きるためにまず私たちに必要なことは、Knowledge、知識の蓄積です。

そしてそれは大人だけではなく、子どもにとっても同じです。

溢れかえる情報の中で溺れることなく生きていくためには、一度情報の入力を減らし、しっかりとした知識の地図を自分の頭の中に構築する時間が必要なのです。

無知のまま溢れかえる情報の中に身を置けば、自己増殖する情報の海の中で翻弄されることは必至です。

子どもたちと学んでいると、「こんなこと勉強してなんか意味あるの?」という問いを投げかけられることがありますが、

その答えの一つが、情報に振り回されず、その真贋を判断するために必要な知識を蓄積するためです。

続きます。

家庭教師のお申込み、お問い合わせはこちらからどうぞ。

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情報の海で溺れぬために ~玉石混交の時代~

誰かのお仕着せの価値観が人を苦しめること。

自分自身が生きる中で手にした価値観がその人を支えてくれること。

そして誰かの価値観に縛られることなく、自分自身の価値観を獲得するためにも、私たちは学び続ける必要があること。

前回のブログでは、このような内容を綴りました。

価値観  ~人を支えるもの~

 

私たちは学び続ける必要があると書きましたが、現代はインターネット上に様々な情報が溢れかえる時代。

気を付けなければならないことがあります。

それは何から学ぶのかということです。

 

インターネットで流布される虚偽情報をフェイクニュースといいます。

例えば熊本自身が起きた際、動物園からライオンが逃げ出したと虚偽のニュースを流し、逮捕者が出たことがありました。

また、先のアメリカ大統領選挙では、ロシアがクリントン候補に関する虚偽情報をネット上に流し、それにトランプ陣営が関与していた疑いが持たれ、今も捜査が続いています。

誰でも気軽に情報を発信し、受信できるようになったからこそ、私たちはその情報の真偽に注意を払わなければなりません。

 

個人で起業する動きが活発になり、ブログやSNSで情報発信する人も増えてきましたが、

発しているその情報が、実績も伴わなければ学術的裏付けもない、その人個人の思い込みレベルのものも多く見受けられます。

悩み苦しんでいるときは、気持ちがいっぱいで視野も狭くなっているため、

ついつい人は、一見自信ありそうに見える人が発する言葉や、耳障りのよい言葉に乗せられてしまうのかも知れません。

悩んでいる人が、そういう類のビジネスに引っ掛かり、今よりさらに状態が悪化したり、事件になったり。

私自身そういう話をいくつも見聞きしてきました。

 

ご自身のために、大切な人のために、学び続けることは必要ですが、

この玉石混交の情報が入り混じる時代、情報の海で溺れぬために必要なことは何か?

考えてみたいと思います。

続きます。

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価値観  ~人を支えるもの~

「かくあるべし」と人を苦しめるのは、誰かの都合によって押し付けられた価値観であること。

現代日本を覆う価値観は「金になればなんでもいい」という資本主義、拝金主義であること。

価値観なんて絶対不変のものではなく、国が変われば、時代が変われば簡単にひっくり返る程度のものでしかないこと。

ここ数日そのような内容を綴ってきました。

 

人を苦しめるのも価値観ならば、人を支えてくれるのも価値観です。

人を苦しめる価値観、人を支える価値観。

両者を分けるものとは何でしょうか?

人を苦しめる価値観、人を支える価値観。

両者を分けるものは、その価値観の来歴です。

人を苦しめる価値観。

それは誰かの都合によって押し付けられたもの。

人を支える価値観。

それは日々生きる中で、自分の手でつかみ取ったもの。

その違いです。

 

いい学校を出て、いい会社に入って、退職まで一生そこで面倒を見てもらうというキャリアパスが過去の遺物となった今、

「勉強したって意味ないよ」などという声も世間からは聞こえてきます。

本当でしょうか?

私はそういう時代であればこそ、人は学ぶ必要があると考えています。

誰かの都合で押し付けられた価値観が破綻しかかっている今、

私たちは、その価値観から脱皮して自分自身で価値観を作り出して行かねばなりません。

そのためにも私たちは学び続ける必要があるのです。

人は学べば学ぶほど、誰かの都合で押し付けられた価値観から自由になることができるからです。

例えば歴史を学べば、現代日本の価値観を相対視する視点が得られます。

現代日本では、このような価値観が広く信じられているけれど、

それは決して絶対的なものではなく、この時代特有のものでしかないのだと気が付けるようになるのです。

例えば国語で小説を読めば、物語の登場人物に自分を投影して、さまざまな価値観に触れることができます。

そういう経験を通じて、親の言うこと、先生の言うことは必ずしも正解ではなく、

実はその人特有の思い込み多いのだ、と気が付くことが出来るようになります。

例えば英語を学ぶことで、外国の文化、思考に触れ、自分が絶対のものと信じていた価値観が、

実は自分が暮らすこの国特有のものでしかないのだと気が付くことができるのです。

 

このように何かを学ぶという経験を通じて、人は誰かの価値観から自由になることができるのです。

そして学びのプロセスを通じて、色々な人が言う色々な事柄の中で揺れ動き葛藤し、自分なりの価値観を見出していくのです。

学び葛藤する中で自分の力で手にした価値観が、誰かの都合のお仕着せの価値観から人を自由にしてくれる。

そして苦しい時に自分を支えてくれるのも、そのようなプロセスを通じて自分の手でつかみ取った価値観なのだと私は考えます。

今までの価値観が破綻しかかっている今だからこそ、私たちは学び続けなければならないし、

そのプロセスでつかみ取った価値観が、私たちを既存の価値観の軛から自由にしてくれるのです。

 

学ぶというのは葛藤し続ける事、それは古い自分を壊し、新しい自分を創り続けることです。

生物学の言葉に「動的平衡」という言葉があります。

生物を構成する組織は見た目には同じ形をとどめていますが、その中で実は古い細胞が壊れ、新しい細胞が生まれるという動的プロセスが繰り返されています。

古いものを壊し、新しいものを生み続ける破壊と創造の連続が、その生物がその生物として存在し続けることを可能にしているのです。

それはなにも生物の細胞レベルに限った話ではなく、人の成長に関しても同じではないでしょうか?

誰かの価値観に縛られた古い自分を壊し、学びを通じて新しい自分を創造し続けていくからこそ、

力を持つ者が押し付けてくる価値観に変えられることなく、縛られることなく、その人はその人として成長し続けられるのです。

 

学び、学びと何度も書いてきましたが、玉石混交の情報が溢れかえる時代。

情報の海で溺れぬために気を付けなければならないことがあります。

次回からはそのような内容を綴りたいと思います。

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価値観 ~国が変われば、時代が変われば~

前々回、前回のブログでは、「かくあるべし」という価値観が人を苦しめること、

そして今この国を覆う価値観は資本主義、拝金主義であること、と綴りました。

人を苦しめるほど強い力を持つ価値観ですが、それは決して絶対不変のものではありません。

時代が変われば、国が変われば、その価値観は様々に変化します。

いくつか例を挙げたいと思います。

現代の日本では、「働かざる者食うべからず」という諺にもあるように、働くこと、労働が美徳であると考えられています。

しかし、古代ギリシャでは、人々はそのような価値観を持っていませんでした。

古代ギリシャの人々が一番い重きを置いたのは、内省や瞑想を通じて自然界や宇宙の真理について考える「観照」という活動でした。

生活のために働くことは、観照活動を妨げ、人間を家畜のような動物的存在に留めおくものと考えられ、労働とは奴隷が行うものという価値観を持っていました。

シェイクスピアの作品に「ベニスの商人」があります。

舞台は中世イタリアの国際都市、ベニス。

貿易商を営むアントニオは、友人の結婚資金を工面するために、ユダヤ人の金貸しシャイロックからお金を借ります。

そのお金の貸し借りを通じて法とは、愛とは、友情とは、を問うというのが物語の主題です。

現在でも一時期ほどではないにしろ、いまだに就職先として銀行は人気があります。

しかし、ベニスの商人のなかでは、宗教上の理由もあるのかもしれませんが、金貸しのシャイロックは人々から蔑まれ、嫌われる存在として描かれています。

現代とは違い、当時のヨーロッパでは金融業とは、卑賤なものという社会的位置づけの仕事だったのです。

これも国が変われば、時代が変われば、価値観が変わることの一例です。

私は普段ほとんどテレビを見ませんが、NHKのBSプレミアムだけは好きでよく録画して見ています。

その中に「世界入りにくい居酒屋」という世界各国の地元の人から愛される居酒屋をめぐる番組があります。

東アジア、東南アジア、ヨーロッパ、中南米、北米、豪州、様々な国をめぐるのですが、

結構みんな平日の昼間から気の合う仲間たちと一緒に酒を飲んでいます。

どこの国かまでは忘れましたが、「俺たちは金はないけど時間はいっぱいあるんだ。アハハハッ」と楽し気に話す人が映っていました。

日本では仕事が優先され、家族や友人と過ごす時間は後回しにされがちですが、

諸外国の人は、お金儲けも大切かもしれないけれど、家族や仲間と一緒に食卓を囲む時間をそれ以上に大切にする、という価値観を持っていることが分かります。

人を苦しめるものが誰かの都合で押し付けられた価値観であること。

今日本を覆う価値観は「金になるか否か」を至上の価値とする資本主義であること。

前回、前々回とそのような内容を綴ってきました。

しかし今回見たように、そんなものは国が変われば、時代が変われば一変してしまう程度のものでしかありません。

だからその程度のものに縛りつけられて、そのルールに順応することが出来ない自分を責め苛む必要などないのです。

国が変われば、時代が変われば。

誰かの都合で押し付けられた価値観など、その程度のものでしかないのです。

続きます。

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価値観 ~金になればなんでもいい~

人が抱える悩みとは「かくあるべし」という価値観がもたらすもの。

そしてそれは結局力を持つ誰かの都合で決められたものでしかない。

昨日のブログではそのようなことを綴りました。

 

今の日本を覆う価値観。

それは資本主義です。

拝金主義と言い換えてもいいかもしれません。

効率的であるべし。

お金を儲けるべし。

競争に勝つべし。

一人一人の「こうしたい」「これが好き」という価値観を押しつぶすように、

資本主義は私たちに様々な「かくあるべし」という価値観を押し付けてきます。

資本主義が私たちに押し付けてくる価値観、そのいくつかを挙げてみたいと思います。

 

・GDPというモノサシ

GDP(国内総生産)の多寡が、その国に住む人の幸せを決めるかのような価値観があります。

その国の経済活動の活発さが、その国に住む人の幸福度を決めるという信仰です。

戦争に使われる武器を生産しても、

環境を破壊するような公共工事をしても、

未来に負の遺産を残すような原発を動かしても、

長い目で見たときに、必ずしも人の幸せに資することなき活動をしても、

それらの経済活動はすべてGDPとしてカウントされ、

それがまるで人の幸福度を表す指標であるかのように用いられています。

 

・実学志向

仕事柄、子どもたちの進路相談を受けることが多いです。

今の学生たちは、自分の進路を選択する際、自分がしたいことよりもそれがお金になるかどうかで進路を選択する場合が多いです。

自分の「○○が好き」「○○がしたい」という欲求に従うよりも、「お金になるか否か」という価値観に従って自分の将来を決める。

事の良否は一端脇に置いておいて、そのような傾向があります。

そしてそれは、そっくりそのまま私たち大人の傾向でもあります。

 

・安いもの=良いもの

私たちがものを買う際、知らず知らずこの価値観に縛られていることが多いのではないでしょうか?

たとえそれが環境汚染を引き起こすような生産方法で作られた食べ物だとしても、

たとえそれが生産者の健康を害するような労働環境で作られた服だとしても、

製品の値段さえ安ければそれでいいじゃないか。

その価値観が私たちの消費行動を気づかないうちに決めている。

そういうことが多いのではないでしょうか?

 

今見てきたように、本当に一人一人の幸せに寄与するかどうか分からない価値観を、資本主義は押し付けてきます。

そしてそれがその価値観のもとで生きる人を苦しめている。

私にはそんな事例が多いように感じられます。

 

私は前職で産業廃棄物処理工場で働いておりました。

そこには毎日毎日大量のゴミが運び込まれてきます。

その中には、便利な製品を作る過程で排出される有害物質がたくさんありました。

どんなに便利な製品を作っても、その裏では大量の有害物質が出ることを知りました。

まだ食べられるレトルト食品やアイス、まだ使えるマスクや入浴剤やホッカイロ。

製品自体には何の問題もないにも関わらず、在庫処分の名のもとに大量廃棄されていることを知りました。

確かにお金にはなるかもしれないけれど、果して自分のやっていることが人の幸せに寄与することと言えるのだろうか?

仕事をしながらずっと悩んだ末に、私は会社を辞めました。

 

資本主義という世界を覆う価値観。

それはそのシステムの中で力を持つ者から押し付けられた価値観でしかないのですが、

かつての私のように、その中で苦しみながら生きている人がとても多い。

これは単なる主観でしかないのかもしれません。

でも、今の世の中は私の目にはそのように映ります。

続きます。

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価値観 ~人を苦しめるもの~

様々、悩みを抱えていらっしゃる方のお話を伺っていると、

「かくあるべし」という価値観が人を苦しめているのだと感じることが多いです。

社会人とは○○であるべき

男とは○○であるべき

女とは○○であるべき

親とは○○であるべき

結婚するべき

子どもを産むべき

学校へ行くべき

みんなと仲良くするべき

私たちは、知らぬ間に様々な価値観を取り込み生きているのだと思います。

私は高校時代、最後に書いた「みんなと仲良くするべき」に苦しみました。

小学校、中学校と山の中の全校生徒10数人の集団で育った私は、

高校から生徒数1000人規模の大規模校を初めて経験しました。

1クラス40人弱の集団で、様々な人と分け隔てなく仲良くしようと頑張りましたが、

しんどくてしんどくて毎日本当に嫌でした。

小学校で習う唱歌に「友達100人できるかな」という一節がありますが、

この歌詞には「友達は多いほうがいい」「みんなと仲良くなるべき」という予断が含まれています。

大人になって分かったことですが、誰とでも仲良くなるなど無理なことです。

気の合う人もいれば、気の合わない人もいる。

いろいろな人と当たり障りなく過ごすことはできても、仲良くなることまでは無理。

それが当たり前なのだと、大人になって社会に出てから初めて知りました。

だから私は、友人関係で悩む子どもには、「無理してみんなと仲良くならなくてもいいんだよ」と伝えるようにしています。

それではなぜ、「誰とでも仲良くなるなんて無理だよ」と子どもに正直に教えないのでしょうか?

なぜ「みんなで仲良くやりましょう」と大人でも実現不可能な価値観を植え付けるのでしょうか?

それはその方が、システムをコントロールする人間にとって都合がいいからです。

学校で言うならば、みんなが仲良くしてくれていたほうが、先生にとって都合がいいからです。

私たちが知らず知らずのうちに握りしめ手放せなくなった「かくあるべし」という価値観には、

概してそのようなものが多いのではないでしょうか?

続きます。

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「お前は大丈夫」 ~私を支えた母の言葉~

人にとって「母」とは特別な存在。

幼少期、客観的に見れば決して良くない状況にも関わらず、子どもを見限ることなく、

才能と可能性を信じ、寄り添い続けた「母」の存在で立ち上がった二人の偉人、

エジソンと坂本龍馬の事例を紹介致しました。

「母はどんなときも私の最大の理解者だった」

「世の人は我をなんとも言わば言え、我が為すことは我のみぞ知る」

今回は歴史上の偉人でもなんでもない全く持って凡庸な人間ですが、

苦しい時、つらい時、思い返せば母の言葉に支えられていた、私自身の経験を綴りたいと思います。

 

=「学校に行きたくない」=

高校時代、一体何度この言葉を口にしたかわかりません。

私は高校が大の苦手でした。

私は生まれてからずっと山の中の小さな学校、全校生徒10数人の中で育ちました。

高校進学と同時に、バスに揺られ40分、新潟県新発田市の公立高校に通うこととなりました。

一体何が苦手だったのか、今でもよく分からないのですが、山の中の小さな学校で自由気ままに過ごさせてもらっていた私は、

「みんなで同じことをやりましょう」という無言の同調圧力の中で、「そこからはみ出しちゃいけない」と苦しくなっていたように思います。

高校時代は楽しかったと話す方もいらっしゃいますが、私にとっては二度と戻りたくない時間です。

高校は私にとって一刻も早く出ていきたい場所でした。

ただ、楽しく通っている同級生もいたので、これはあくまでも私個人の主観の話です。

 

=「お前には滑り止めの学校もないんだぞ!」=

学校にいる間中精神的にしんどい。

そんな状況で授業の内容が頭に入ってくるはずもありません。

私の学業成績はずっと下から数えたほうが早い順位でした。

私には二歳年上の姉がおり、同じ高校に通っていたのですが、姉はとても学業優秀で成績はいつも学年で10位以内。

「お前の姉ちゃんは良くできるのになぁ」

先生や同級生からそんな言葉をかけられる度に、腹立たしさと屈辱感でいっぱいになりました。

兄弟、姉妹で比較されるというのは本当に嫌なものです。

お子さんに対してそのような言葉がけはされないほうがいい、と私が親御さんに伝えるのは、実体験があるからです。

高校三年生になっても私の成績は相変わらずで、テストの度に赤点ばかり。

数学に至っては0点を取ったことさえありました。

業を煮やした担任の教師が、朝礼で言った一言。

「お前には滑り止めの学校も無いんだぞ!」

「わざわざみんなの前でそんなことを言わなくてもいいだろう、、、」と心の中で思っていました。

20年も前のことを今でも覚えているのですから、そうとう腹立たしかったのだと思います。

 

=「お前は大丈夫」=

母は「勉強しなさい!」の類の言葉をほとんど言わない人でした。

その代わり学校に馴染めず、成績の振るわない私に、

「お前はやれば出来る子だから大丈夫」

そう言い続けてくれました。

いろんな人から「お前はダメ!」というメッセージを浴びた高校時代でしたが、母から「大丈夫」と言われると大丈夫な気がしてくるのが不思議でした。

子どもにとって母親の言葉はそれだけ強い力を持つということなのでしょう。

精神的にしんどい日々でしたが、さすがにこのままではまずいと思い勉強をし始めたのは、高校三年生の春からでした。

高校一年生、二年生の貯金が全くないような状態で始めた受験勉強でしたが、

それでも地道に努力を続けていく中で少しずつ成績は上向いていき、なんとか地方の小さな国立大学に現役で滑り込むことができました。

学校に合格報告に行ったときのこと。

「え?受かったの!?」と言って驚いた担任の教師の顔を今でもよく覚えています。

汚い言葉を書いてすみませんが、心の中で「ざまぁ見やがれ!」と叫んでいました。

 

=信じてくれる人=

客観的に見れば何一つ大丈夫である要素など無かったと思います。

いつまでたっても学校には馴染めない、赤点ばかり取ってくる。

それでも私に「大丈夫」と言い続けてくれた母の言葉があったおかげで、私は自分で自分を見限らずにいられたのだろうと思います。

子どもにとって一番身近な環境とは、その子の周りにいる大人がその子に対して抱く前提です。

子どもは周りの大人が自身に対して抱く前提を信じ、良くも悪くもその前提どおりの振る舞いをするように私には感じられます。

だから、世間一般の価値観で見れば決して良くない状態であったとしても、

自分の可能性を信じ「大丈夫」という前提を抱いて見守ってくれる大人がいることが子どもにとってとても大切なのです。

その前提で接してくれる誰かの存在が、苦しさを抱え動けなくなっている子どもに力を注ぎ、やがてその子は立ち上がっていく、

自分自身の経験に加えて、私は今までそのような事例をたくさん見させて頂きました。

だから、今お子さんがどんなに困難な状況にあったとしても、親御さんが当事者意識を持って寄り添ってくれる限り大丈夫。

私はそう言い切れるのです。

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「世の人は我をなんとも言わば言え、我が為すことは我のみぞ知る」

人にとって「母」とは特別な存在。

だからお子さんがどんなに困難な状況にあっても、お母さま、またはお母さまの役割を担う方が、当事者意識をもって寄り添うことで、お子さんは立ち上がる。

昨日のブログで書いた、エジソンもそのような事例の一つです。

「母はどんなときも私の最大の理解者だった」

今回も歴史上の革命家と母なるもののエピソードを紹介致します。

明治維新を経て日本が近代化へと舵を切る大きなきっかけとなった薩長同盟、大政奉還。

その立役者、坂本龍馬もまた「母という存在」によって立ち上がった一人です。

 

=坂本のよばいったれ=

1835年11月15日、土佐藩の下級武士である坂本家の第五子として龍馬は生まれます。

後々の革命家のイメージとは裏腹に、幼少期の龍馬はとても甘えん坊でした。

いつも鼻を垂らしており、夜尿症は11歳になるまで治らなかったと言われています。

近所の子どもたちからは、坂本のよばいったれ(寝小便たれ)と馬鹿にされていました。

12歳になると龍馬も読み書きの勉強のために近所の私塾に通い始めます。

しかし同級生に泣かされて帰ってくるわ、勉強が全くできないわで、すぐに退塾させられてしまいました。

 

=坂本のお仁王様=

12歳の時にずっと病気がちであった母を亡くした龍馬を、母親代わりとして育てたのが三つ年上の姉、乙女でした。

175㎝、110kgの体躯。

薙刀、剣術、弓、馬術、舞踏、謡曲、琴、三味線と武芸に秀でた乙女はその体つきから、坂本のお仁王様と呼ばれていたそうです。

龍馬はお仁王様から、読み書き、武術の特訓を受けます。

ある日水練のために乙女は龍馬を川へ連れて行きます。

龍馬を素っ裸にさせ腰ひもを巻き付けて、もう一端を自分が持つ竹竿に結わえると、龍馬を川に飛び込ませ、泳ぎを叩き込んだというエピソードが残っています。

乙女の教育の甲斐もあり、14歳から習い始めた剣術で龍馬はメキメキと頭角を現します。

甘えん坊でいじめられっ子のよばいったれは逞しい青年へと成長してゆきました。

 

=革命家へ=

1862年春、家族に「桜を見に行く」と言い残し、龍馬は土佐藩を脱藩。

革命家への道を歩み始めます。

脱藩は当時、捕まれば死罪という重罪でした。

日本全国を旅してまわるその道すがら、龍馬はたびたび乙女に宛てた手紙を書いています。

「日本をもう一度洗濯致し申し候」という有名な台詞も、乙女への手紙の中にしたためられていた一節です。

そういうところからも、龍馬にとって乙女の存在がただの姉弟以上の関係性であったことが伺えます。

乙女姉さんの支えを受けて、坂本のよばいったれと虐められていた坂本龍馬は、

薩長同盟を締結せしめ、日本の近代化への道筋を作った革命家へと成長して行きました。

 

=違和感を表現する勇気=

「世の人は我をなんとも言わば言え、我が為すこと我のみぞ知る」

これは龍馬が書いた有名な和歌です。

世の中の大勢を占める価値観に対して違和感を覚え、自分の命を賭してでもそれを表現できたのは、

自分が客観的に見てどんなにダメな状態であったとしても、

決して見限ることなく自分の可能性を信じ寄り添い続けてくれる「母という存在」が、

龍馬の心の中に根付いていたからではないでしょうか?

お子さんが不登校になり、ご自身を責めておられる親御さんにお伝えしたいのもこのことです。

お子さんが違和感を覚え、たとえ世間の流れから逸れたとしても、

不登校という形でその気持ちを表現できたのは、お子さんの心の中にしっかりと「母なるもの」が根付いているからではないでしょうか?

「自分の辛い気持ちを、父ちゃん、母ちゃんならばきっと受け止めてくれるはず」という信頼感があればこそ、

お子さんは自身が抱える違和感を具体的な形で表現する勇気を持てたのだと私は考えます。

そういう信頼関係を築いて来れれたからこそ、お子さんは不登校という選択をする勇気を持ちえたのです。

だからどうかご自身を責めないでください。

 

歴史上の偉人と母、そんな内容で前回、今回と綴ってきました。

私は、歴史上の偉人でもなんでもないとても凡庸な人間ですが、思い返せば自分自身がいつも母に支えられておりました。

次回はそんな自分の経験を綴ってみたいと思います。

続きます。

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「母はどんなときも私の最大の理解者だった」

人にとって「母」は特別な存在。

だからこそ困難にある子どもを救い出す力がある。

前回のブログではそのような内容を綴りました。

蓄音機、白熱電球、動画撮影機など、数々の発明で知られるトーマス・エジソン。

彼は小学校を三か月で退学になってるのをご存知ですか?

小学校退学のエジソンがなぜ歴史に名を残す発明家になり得たのか?

今回はそんな内容です。

 

=小学校退学=

1847年2月11日、アメリカのオハイオ州で七人兄弟の末っ子としてエジソンは生まれます。

とても好奇心と探求心に富んだ子どもだったそうです。

小学校に入ると、

「1+1はなぜ2なの?粘土の塊と粘土の塊をくっつけると大きな1つの塊になるじゃないか。」

「Aは何故エーと発音するの?なぜピーと発音しないの?」

などなど先生を質問攻めにしてたびたび授業がストップしたと言います。

これが積もり積もって校長先生から、「他の子の迷惑になるから」という理由で、3か月で退学処分を告げられることとなりました。

 

=母、ナンシー=

ガチョウの卵をふ化させようと卵を抱えて何時間も家の小屋にこもる。

モノは何故燃えるのかを知りたくて藁に火をつけていたら、家の納屋を全焼させてしまう。

子どもの頃のエジソンについては様々なエピソードが残っています。

その好奇心と探求心ゆえに学校から不適合を言い渡されたエジソンですが、母ナンシーの対応は違いました。

その好奇心、探求心こそが息子の才能であると見抜いた母は、自宅でエジソンに勉強を教え始めます。

エジソンの好奇心と探求心を大切にして、根気強く個人指導を続け発明王エジソンの基礎を作り上げました。

お母さんと一緒の学びの時間、幼いエジソンにとっては嬉しかったのではないでしょうか。

 

=発明王を育てたもの=

学校から不適合の烙印を押されたエジソン。

そんなエジソンの才能を見出し、信じて支え続けてくれたのは母。

後年、エジソンは白熱電球の実用化がなかなかうまくいかず、

耐久性のあるフィラメントの材料を探して、なんと6000通りもの素材を試しています。

そんなエジソンを見て周りの人は、「そんな失敗ばかりして、もういい加減諦めたら?」と言ったそうです。

エジソンは、「失敗ではなく、これはうまくいかないという方法を6000通り発見したんだ」と言って諦めませんでした。

その強さの裏に私は母の存在を感じます。

世間の評価にめげず自分を信じ続けることができたのは、

例え学校から退学を言い渡されても、自分の可能性を信じ寄り添い続けてくれた母の存在があったからだと私は感じます。

事実、エジソンはこう言い残しています。

「何があっても支えてくれた母がいたから今の私がある。

母だけは何があっても、あるがままの私を理解してくれた。

どんなに苦しい時でも、母を喜ばせたくて私は努力を続けることができた。

すべて母のお陰だ。」

母の信じる気持ちが、困難な状況にある子どもにエネルギーを注ぎ、再び立ち上がらせる。

自分が関わってきた事例からも、「母」という存在にはそんな力があると私は感じます。

 

今でこそ子どもに学習指導をしていますが、高校時代の私は勉強が全くダメでした。

先生からも随分きついことを言われました。

そんな私のことを信じてくれたのは、エジソン同様やはり母でした。

振り返って感謝だなぁと思います。

その話はまた後日。

続きます。

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おふくろさんよ、おふくろさん ~母という存在~

私は歌が好きです。

学生時代はギターを弾きながら街角で歌っていたこともあります。

聞かされるほうはたいそう迷惑だったことと思います。

若気の至りというやつですね。

恐ろしい。

それはさておき、ある時ふと気が付いたことがあります。

 

=母の歌=

母に捧げるバラード 海援隊

秋桜 山口百恵

アンマー かりゆし58

Mother  ジョン・レノン

おふくろさん 森進一

愛をこめて花束を Superfly

ヨイトマケの歌 美輪明宏

東京だよおっ母さん 島倉千代子

パッと思い出しただけでも、母を題材にした歌の多いこと。

歌という感情がストレートに出やすい表現方法において、これだけ「母」を題材にしたものが多い。

父を題材にした歌もあるにはありますが、それほど多くないように感じます。

 

=「母」という特別な存在=

父への思い、母への思い。

どちらが強いかと問われれば、大きな声では言えませんが、私は母への思いのほうが強いかもしれません。

でもそれは、私だけではないようです。

父の日と母の日の贈り物が、それぞれどれだけの市場規模を調べてみました。

父の日 1825億円

母の日 2377億円

ともに第一生命の調査結果を参照しました。

父の日より母の日のほうが、30%ほど大きな数字です。

金額の多寡で人の心を測れるわけではありませんが、一つの指標にはなり得るかと思います。

やはり、人にとって母という存在は特別なものがあるように感じます。

 

=母の力=

子どもたちの困難な状況。

例えば、不登校、家庭内暴力、夜遊び、摂食障害、リストカット、ネット依存。

そのような状況下でお母さまが、またはお母さんの役割を担っている方が、

当事者意識を持ってお子さんに寄り添うことで状況が改善に向かう。

私はそのような事例をいくつも見てきました。

お母さんが信じる力が子どもにエネルギーを注ぎ、困難から立ち上がる。

それは何も今という時代に限ったことではありません。

歴史上の偉人・天才と呼ばれる人たちの幼少期を調べてみると、そのような事例がたくさんあります。

次回以降はそんな事例をいくつかご紹介していこうと思います。

続きます。

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