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仕事は誰のためにある? ~自分探しの問題点~

先日ある人から、「随分早起きですね。」と言われました。

メールの返信の時間を見てのことでしょう。

私もともとは早起きの人間ですが、最近それにさらに拍車がかかりました。

理由は簡単です。

息子がものすごく早く起きるからです。

現在5時40分。

今朝も彼が私のほほをパシパシと叩いてきて目が覚めました。

今も何やら隣室でガタガタキャーキャー一人で遊んでいます。

元気でなにより。

お父さんは眠い。

 

先日のブログでは、将来の職業を考えるときに高校生が度々口にする

「何がしたいか分からない」

「何が好きか分からない」

「何が向いているか分からない」

というような問が働くことに対する悩みをより深くしているのではないか、という内容を綴りました。

「何がしたいか分からない」 ~問いの立て方の間違い~

その理由は、仕事とは何なのかを考えてみればわかります。

 

仕事というものはどのようにしてこの世に生まれるのでしょうか?

仕事は他者の求めと同時にこの世に生まれます。

困難を抱えている他者、必要性を満たしてほしい他者。

その存在があって初めて仕事は生まれます。

つまり仕事というのは他者との関わりの中で生じるものだということです。

その前提を確認すれば、

「何がしたいか分からない」

「何が好きか分からない」

「何が向いているか分からない」

という問立ての何が問題であるかが分かってきます。

なぜこれらの問が問題か?

それはこれらの問いに、他者が登場しないからです。

他者との関わりの中で生じてくる仕事について考える際に、他者という存在を思い浮かべることなく、

自分の中を掘り下げ探求することに終始するそれらの問立てには、働くことに対する根本的な勘違いがあると私は考えます。

例えば、明日仕事が休みで、その日に何をするか考える時に、「何がしたい」とか「何が好き」で考えることには何の違和感もありませんが、

仕事は休みの日に何をするか考える事と同じ種類の話ではありません。

休みの日に何をするかは自分事ですが、働くということになるとそこには他者が関わってくるからです。

 

例えばお寿司屋さんに入って、「すみません、鉄火巻きください」と注文した時、

店員さんから「すみませんお客さん、今日私鉄火巻きの気分じゃないので違うもの注文してもらえます?」

と返ってきたら「この人何言ってるんだろう?」と思うのではないでしょうか?

困難を抱えた他者、要求を満たしてほしい他者にとって、その人が「何をしたい」とか「何が好き」とか「何が向いている」とか、はっきり言えばほとんど関心の無いことなのです。

仕事とは、自分という人間の殻から一歩踏み出して、他者のために何が出来るのかを考え、それを実行する行為です。

自分の殻を一歩踏み出したその先にあるのが仕事というものです。

だから、「何がしたい?」「何が好き?」「何が向いている?」という問は、その意識の向け方が逆方向である点で、全くずれているため、

それらの問を投げかけ続けたところで、働くことに対する悩みは解決するどころかより深くなるばかりなのではないかと私は感じています。

 

仕事が他者との関わり合いの中で生まれるものである以上、

自分の殻に閉じこもって自分探しに明け暮れてみても、そこに答えを見出せる可能性は低いのではないか、と綴りました。

それでは、どのような問立てをすれば、自分が働くことにたいするイメージが明瞭になってくるのでしょうか?

続きます。

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