「何がしたいか分からない」 ~問いの立て方の間違い~

今朝の新潟市は晴天。

今日は30℃を超える暑さになりそうです。

先週末も晴天が広がっていました。

週末は仕事で海の方に行く機会があるのですが、サーフィンやバーベキューをして楽しむ方たちがたくさんいました。

ガラガラだった水族館の駐車場にも車がたくさん停まっておりました。

日常が少しずつ戻りつつあることを感じます。

このまま何事もなく穏やかな日々に戻れますようにと願います。

 

高校生の子たちと一緒に勉強していると、しばしば受ける問が、職業選択に関わるものです。

「何がしたいか分からない」

「何が好きか分からない」

「何が向いているか分からない」

職業選択に関して彼らの口から発せられる問は総じてこのようなものです。

私の知る限り、高校生の段階で将来の方向性が明確に定まっている子はほとんどおりません。

みんなこのような問の中で、ぐるぐると悩んでいる印象を受けます。

学校で行われているキャリア教育で、しばしばこのような問が子どもたちに対して向けられているので、彼らはこの問の中に囚われてしまっているのかもしれません。

かつて自分もそのような問の中を、キョロキョロと彷徨い歩く学生だったので、適正検査の類は色々受けてきました。

ある適正検査に、自分に最も向いてない仕事が、パイロットと書いてあり、「確かに俺も俺の操縦する飛行機には乗りたく無いなぁ」と深く納得したことを今でもよく覚えていますが、

大人になった今、このような問を耳にすると思うことは、その問の立て方があなたの悩みを深くしているのではないか?ということです。

その問立てから思考をスタートさせることが、働くことを複雑にしているのではないかと思うのです。

 

例えば「何がしたいか分からない」という問について言えば、「それでいいんじゃないですか」というのが私の答えです。

「何がしたいか分からない」という問いの裏には「自分は将来○○がしたい」という夢があるべきという前提があるのですが、

その「将来○○がしたい」という夢だって勘違いである可能性があるわけです。

例えば、スキーをしたことがある人が「スキーをしたい」と言ったとき、その「スキーをしたい」という願望が勘違いである可能性は極めて低いと言えるでしょう。

しかし、映画監督をやったことがない人が「映画監督になりたい」と言ったとき、実際にやったことがないわけですから、

その「映画監督になりたい」という願望は勘違いであった、やってみたらとんでもなくつまらなかった、という結末を迎える可能性だって大いにある訳です。

決して私は夢を持つことを否定するわけではありません。

将来の夢がある子はそれに向かって頑張ってほしいと心から思います。

ただその「やってみたい」はそれはまだやったことがない場合もあり、本人の勘違いである可能性を捨てきれないので、

それがあってもなくてもそれほど大きな違いはないのではないか、と私は考えるのです。

だから「何をしたいか分からない」と言われたとき、私の答えは「それでいいんじゃないですか」になるのです。

 

大人が子どもに向けて問いかける、

「将来の夢は何?」

「あなたは何が好き?」

「何が自分に向いていると思う?」

といった類の問いかけが、子どもたちの働くことに対する悩みをさらに深めているのではないか?と私は考えています。

なぜらな、働くことと、これらの問はそもそもそれほど関係がないからです。

それは仕事というものが何なのかを考えてみればわかります。

続きます。

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