「そこしか居場所がなかった」 ~なぜ依存するのか~

昨日は奥さんの実家がある魚沼市へ家族で行ってきました。

息子におじいちゃんの畑でいちご狩りをさせる事と、おばあちゃんが手入れしている庭のバラが見ごろなのでそれを見に行くことが今回の目的です。

息子は、おじいちゃんとおばあちゃんに一杯かわいがってもらって、採ったばかりの大きないちごを口いっぱいに頬張って、終始幸せそうな顔をしていました。

バラが満開の庭で、ボーっと椅子に座っていると蜂がせっせと蜜を集めに来ていたり、バラの花びらの中で小さなアマガエルが休憩していたり、

そこでは人間の理性が作り出した時間にではなく、それぞれの生き物がそれぞれの時間に従って、それぞれの命を生きている姿がありました。

私はやっぱりああいう自然豊かな中で生きていきたい人間なのだなぁと再確認しました。

 

前々回のブログで紹介した動けなくなった子どもに必要なもの、私が考えるものは以下の三つです。

1、責められないこと

2、受容的な雰囲気

3、力を奪うものから遠ざける事

環境 ~動けなくなった子どもに必要なもの~

3の力を奪うものとは、今でいえば具体的にはゲームとネットです。

前回のブログでは、ネット依存の大半を占めるゲーム依存とはどのようなものかをご紹介しました。

脳が壊れる ~ゲーム依存という病気~ 

お子さんが動けなくなったときに、なぜ受容的な態度で接することが出来ず、責めてしまうのか、そしてなぜ子どもたちはゲームの世界に依存してしまうのか?

これらは別々に起きている事柄ではなく、関連して起きていると私は考えます。

 

先日、NHKのクローズアップ現代でゲーム依存が特集されていました。

番組内でゲーム依存からの回復を目指している20代の青年や、学校のいじめが原因で引きこもり、ゲームに依存するようになった高校生の話が紹介されていました。

彼らが異口同音に口にしていたのは「そこしか居場所がなかった」ということです。

 

精神科医の泉谷閑示さんはその著書「『普通がいい』という病」の中で、依存症とは、代償行為が量的に増加し自分の意志では止められなくなったもの、と説明しています。

本当に欲しいものが得られないが故に、質的に異なる何かで対象への渇きをごまかそうとするけれど、それは本来質的に異なるものであるから、いつまでも満足が得られず、

代償行為の量が増加し、その結果脳が壊れ、自分の意志ではその行為を止められなくなってしまうのが依存症の構造である、ということです。

それでは、依存症に陥る人たちが本当に求めていたものとは何でしょうか?

ゲーム依存に陥った人たちの「そこしか居場所がなかった」という言葉がすべてを教えてくれてます。

彼らが本当に欲していたものは、「人との繋がり」や「他者からの関心」でしょう。

 

番組中で、ゲーム依存になり一年半部屋に引きこもっていた男の子とその親御さんのエピソードが紹介されていました。

お子さんの引きこもりとゲーム依存に悩んでいた親御さんは、精神保健福祉士の八木真佐彦さんのもとを訪れ、CRAFTと呼ばれるプログラムをお子さんに対して行うようになりました。

CRAFTとは、今までお子さんにかけていた否定的な言葉を、肯定的な言葉、受容的な言葉に変えていくというものです。

例えば、お子さんが皿を洗っておいてくれたら「皿を洗ってくれてありがとう」とか、本当に些細なことに対しても肯定して受け止める言葉がけを行うように心がけたそうです。

そうし続けるうちに、家の中の雰囲気が変わり、お子さんも部屋から出てきて自分の気持ちを語ってくれるようになり、今はもうゲームはしていないと紹介されていました。

この事例が示すように、本来得たいものが得られれば、病的に何かに依存する必要がなくなるということです。

人との繋がりや、周囲の大人からの関心が得られれば、ゲーム依存の状態から脱することが出来るのです。

それではなぜ、私たち大人は、子どもに対して関心を示し、受容的な態度で接することが出来なくなってしまうのでしょうか。

それは私たち大人から穏やかさを奪う構造があるからだと私は考えます。

また長くなりましたので、続きは次回。

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