二つの眼差し ~株式会社化する社会~

前回のブログでは、子どもの健全な成長には、評価の眼差し、共感の眼差し、この二つのバランスが必要である、という内容を綴りました。

二つの眼差し ~共感と評価~

それでは実際に子ども見つめる、社会の眼差し、私たち大人の眼差しはどのようになっているのでしょうか?

考えてみたいと思います。

 

私が尊敬する思想家の内田樹先生は、「株式会社化する社会」という言葉で現代日本社会の趨勢を表現しています。

これは、構成要員が、社会の様々な領域に株式会社の運用ルールを適用すれば、万事がうまく運んでいく、という信憑に取りつかれた社会のことです。

株式会社の運用ルール、私が考えるものは以下の三つです。

一、競争と評価

二、トップダウンによる意志決定

三、効率とスピードを重視

この社会の流れは私が記憶している限り、2000年代前半にアメリカ初の新自由主義が日本に侵入してきて以来のことだと思います。(実はもっと古いのですが、それはまた次回)

注:新自由主義・・・政府などによる規制の最小化と自由競争を重んじる考え方。規制や過度な社会保障・福祉・富の再分配は政府の肥大化をまねき、企業や個人の自由な経済活動を妨げると批判。市場での自由競争により、富が増大し社会に行き渡るとする。(デジタル大辞泉より)

この新自由主義の発想のもと、郵便事業の民営化、労働者派遣法の改正など様々な規制緩和が実施されました。

その流れの中で、いつの間にか日本全体に、すべての組織は株式会社のルールに準じて運用されるべき、という「信仰」が根付いてしまったのだと私は感じています。

さて、その信仰は、命題として真と言えるのでしょうか?

私は違うと考えます。

その反例を示します。

世の中には、株式会社の運用ルールに馴染まない組織というものがあります。

私が考えつくものは、医療、宗教、行政、農林漁業、そして教育です。

これらの領域に株式会社の運用ルールを持ち込んではダメなのです。

何故ダメか、教育と株式会社の運用ルール一、二、三を関連づけて、その理由を見ていきたいと思います。

一、競争と評価

これはもう先日のブログで考察したことですが、子どもが成長するためには、評価の眼差しに加え共感の眼差しが必要です。

競争を煽り、評価するだけでは、他者評価に依存し自分の考えを持てない子どもになってしまいます。

二、トップダウンによる意志決定

子どもが成熟するためには葛藤が必要です。

そして子どもが葛藤するために必要なのは、いろいろな大人が少しずつずれたことを言える環境です。

あの人はああ言うけれど、この人はこう言う。

様々な大人の言うことのずれの中で、子どもは葛藤し、自分なりの価値観を獲得していきます。

これが成熟というプロセスです。

トップダウンの意志決定がなされる組織では、このずれは忌避されます。

そこには単一の価値観しか存在し得ません。

そしてそのような環境下で、子どもの葛藤、成熟など期待できるはずもありません。

三、効率とスピードを重視

子どもを育てたことのある親御さんや、子どもに携わる仕事をされている方ならすぐにわかることと思いますが、

子どもがある状態からある状態へ直線的に成長するなどということはあり得ません。

子どもの成長とは、様々なトライ&エラーを繰り返しながらあっちへぶつかり、こっちへぶつかりするプロセスを通じて果されるものです。

だから、親は、教育に携わる人間は、そのトライ&エラーのプロセスを待ってあげる必要があるのです。

「待つ」というプロセスが不可欠な領域に「スピード」や「効率」などという発想を持ち込んでいいはずがありません。

子どもは工業製品ではないのです。

 

教育を取り上げて具体的に見てきましたが、先ほど挙げた五つの分野、人が人らしく心穏やかに生きていくために、必要不可欠なものばかりです。

株式会社とは、その性質上儲けがなければ存続し得ない組織です。

「儲けが立たなくなったから私どもはトンズラします」でそのサービスを止められてしまっては、その後私たちの生活が成り立たなくなってしまうのです。

だからこれらの分野は株式会社の運用ルールを適用してはいけないのです。

今見てきたように、教育という分野に株式会社の運用ルールを持ち込んではならないのですが、それでは今、実際の教育の現場はどのようになっているでしょうか?

株式会社化から守られているのでしょうか?

残念ながらそうはなっていない、と私は感じています。

長くなりましたので続きは次回。

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