反省の方法 ~本当にそこにリンゴはあるか~

数日暑い日が続きましたが、今日は朝から五月らしい気持ちの良い風が吹いています。

田植えも始まり、車の窓を開け田舎道を走っていると、どこからか風に乗って土の匂いが香ってきます。

風の肌触り、空気の匂い、空の色、咲いている花。

年齢を重ねる中で、そのような季節の変化に気づき、味わえるようになったのだなぁと感じます。

若いころは年齢を重ねることを単に喪失と考えていましたが、歳を重ねるというのは得るものもたくさんあることに気づいてからは、今までの認識が変わりました。

十年後も年を重ねることで、こんなことが得られたと思えるように、日々を重ねていきたいものです。

 

前回のブログでは、

危機的状況において過去を振り返りご自身を責めてみても、自分で自分のパフォーマンスを下げてしまうこと、

過去を振り返り自分自身を責める「後悔」ではなく、過去の自分の振る舞いに改善点を見出し、今の状況に反映させる「反省」をすることが大切であること、

という内容を綴りました。

生き延びるために必要なこと ~後悔と反省~

それでは具体的に「反省」とはどうすることなのか?

今日はそのことを考えてみたいと思います。

 

反省とは、客観的視点に立って、過去の自分の振る舞いを振り返り、その中に改善点を見出すこと、そしてそれを現状に反映させること。

これを繰り返していければ、人間のパフォーマンスはどんどん向上します。

論理的にはそうなのですが、事はそう簡単ではありません。

なぜなら「客観性」を保つことが難しいからです。

それが何であるかを考えるとき、それが何でないかを考えることで、それ自体に対する理解が深まる、ということがあります。

そこでまず「客観」とその反意語「主観」の定義を見てみたいと思います。

客観:当事者ではなく、第三者の立場から観察し、考える事。またその考え。

主観:その人ひとりのものの見方。(デジタル大辞泉より引用)

主観と客観の一致を、またはその不一致を論理的に確かめる方法はありません。

例えば今自分の目の前にリンゴが見えているとします。

ここで考えてみて頂きたいのですが、「見えていること」、が「そこに存在していること」を担保していると言えるでしょうか?

「見えていること」はあくまでも、自分にとっての主観です。

だから「見えていること」を以って、そのリンゴが本当にそこに存在しているかどうかを、つまり自分の主観が客観的に真であるかどうかを言い切ることは出来ません。

その客観性を確認しようと思うならば、論理的には自分という人間から脱出して、自分自身を含めて客観視する必要があるのですが、そのようなことは物理的に不可能です。

つまり主観を脱して、完全な客観を得る事は出来ないということです。

それ故に誰の考えの中にも必ずその人にとっての主観が紛れ込んでいます。

私の書いていることの中にも、自分ではそうと気づかずにたくさんの主観が紛れ込んでいるはずです。

過去を振り返り反省するのがそれほど容易ではないのは、今見てきたように「客観性」を確保することが難しいからです。

しかし、完全な客観性を得ることはできませんが、ある程度の客観性を確保することは可能です。

それは何をする事かと言えば、「出来事を記録すること」と「後でそれを読み返すこと」です。

 

先日のブログで「私」という人間はさまざまな人格要素がコミュニティを形成したものである、と綴りましたが、

生き延びるために必要なこと ~「私」というコミュニティ~

「私」というコミュニティのメンバーには「過去の私」も含まれます。

「今の私」から見れば「過去の私」は他者であるということ、つまり「出来事を記録した私」は、「それを読み返す私」から見れば、他者であるということです。

先日、ライティングに関する本を読んだのですが、その中のアドバイスに「書いた文章は一晩寝かせること」というものがありました。

作文であれ、ブログ記事であれ、ラブレターであれ、書いている真っ最中は「なんて素晴らし文章だ!」、と思えても、

一晩経って読み返してみると、書き手と読み手の間にあまりにも温度差がありすぎて、お寒い文章に感じられる、そんな経験を持っている方も多いのではないでしょうか?

これがまさに『「記録した私」と「読み返す私」は他者である』ということの意味です。

「今の私」と「過去の私」は他者である、と言ってもそこは一人の人間ですから完全に分断されているわけではありません。

だから完全な客観性を得ることは不可能ですが、出来事を記録し、それを読み返すことで、ある程度の客観的視点を獲得することが可能です。

つまり「記録すること」と「読み返すこと」で、私たちは客観的に反省出来るということです。

 

今日の内容をまとめると、以下のようになります。

「反省」には客観的視点が必要であるが、主観と客観を完全に分けることは物理的に不可能である。

しかし、「出来事を記録すること」と「それを読み返す」ことで、ある程度の客観性が確保できるため、過去の自分の振る舞いを振り返り改善点を見出す、ということが可能になる。

 

出来事を記録し、それを読み返すだけでも、ある程度の客観的視点は得られますが、さらに客観性を高めるためには、記録の仕方にコツがあります。

次回はその記録の仕方について。

続きます。

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