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変化の時代 ~なぜ考えられないのか?~

前回、前々回のブログでは、

・時代が変化し、良い大学に入って、良い会社に入れば一生安泰という時代は終わったこと

・これからは一人一人が考えることが求められる時代であること

・考えるために必要なのは、「知識」と「理解力」であること

について綴りました。

前々回の記事:変化の時代 ~ベルトコンベヤーはもう動かない~

前回の記事:変化の時代 ~考えるために必要なこと~

考えることが大切な時代なのですが、日本人はもともと考える事が苦手な国民です。

歴史を振り返って見ればそれは明らかです。

学生時代に、歴史の授業で、遣隋使、遣唐使という言葉を習ったことがあると思います。

政治や法律、文化や宗教、さまざまな分野で日本は、昔から中国大陸、朝鮮半島の真似をし続けてきました。

明治維新、戦後復興では、その物まねの対象が西欧文明に変わっただけで、物まねをするという身の処し方はそのままでした。

つまり、どこかの国で成功している事例を真似することは得意でも、自分たちで考え何かを生み出すということが、日本人はずっと苦手な国民だということが分かります。

なぜ日本人は考えることが苦手なのでしょうか?

歴史が関与するような長い時間スケールで考えたときに、その理由は気候風土や島国であること、などの地理的な条件が関与してくるのだと思いますが、

もっと短い時間スケールでその理由を考えたとき、その答えはズバリ「考える」という訓練をしていないからです。

 

~学校の授業でやっていること~

前回のブログで、頭の使い方はピラミッド型の三層構造になっている、という話を綴りました。

下から数えて、第一層は「覚える」、第二層が「理解する」、第三層が「考える」。

知識の蓄積が理解力を下支えし、理解力が「考える」を下支えする、そのような三層構造になっていると私は考えます。

つまり、「覚える」、「理解する」という頭の使い方の先に、「考える」というさらに高度な頭の使い方があるのです。

ここで学校の授業を思い出してみてほしいのですが、学校の授業でやっている頭の使い方は、「覚える」、「理解する」、「考える」のうちどれでしょうか?

例えば、漢字を「覚える」。

例えば、英単語を「覚える」。

例えば、三角形の合同の証明方法を「理解する」。

例えば、英文法のルールを「理解する」。

例えば、オームの法則を「理解する」。

学校の授業でやっていることを振り返ると、そこで行っている頭の使い方はほとんどが、「覚える」と「理解する」であることが分かります。

その授業のやり方は、試行錯誤を要する「考える」とは違い、非常に効率的に子どもを一定水準まで知的に成長させることが出来るのですが、

それを繰り返すだけでは、いつまでも「考える」ことが出来るようにはならないでしょうし、

人から教えられたことを「覚える」、「理解する」という作業ばかりをこなし続けることで、もっと何かを知りたいという知的好奇心がそがれてしまう恐れもあります。

 

以上のように短期的時間スケールで見たときに、日本人が考えることが苦手な理由は、そもそも「考える」という頭の使い方をしていないことが原因であることが分かります。

このような事を書くと、学校教育批判と捉えられるかもしれませんが、私は学校は、改善すべき点はあるものの、素晴らしい学びの場であると考えています。

先ほども述べたように、「考える」ためには、知識の蓄積と理解力の涵養は不可欠ですし、学力だけでなく、社会性も身に着けられる場所であると考えています。

学校で「考える」という頭の使い方をしていないなら、これから学校でそういう時間を作ればいいじゃないか、という意見もあるかと思いますが、

小学校教員の約55%、中学校教員の約80%が月の残業時間が100時間を超えている現状で、それを学校に求めるのは無理な話です。

「考える」訓練は、それが具体的に何なのかが分かれば、学校でやらずともご家庭で行えることです。

次回は「考える」訓練について。

続きます。

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