受け身 ~負ける練習~

 

相田みつをさんの著書に「受け身」というエッセイがあります。

柔道の基本は受け身。

受け身とは、負ける練習。

人の前で投げ飛ばされる練習。

人の前で恥をさらす練習。

柔道ではまず初めに負け方を教える。

それは、生きていると格好よく勝つことよりも、無様に負けることのほうが多いからだ。

受け身が身に付けば人生の達人だ。

若者よ、頭と体の柔らかいうちに受け身をしっかり身に着けておけ。

失敗なんか気にするな。

負けることをうんと学んでおけ。

そしてわが身を通して受け身を、負け方を身に付けてはじめて、

人の心の痛みに寄り添える人間になれるんだ。

そのような内容のエッセイです。

人は成功するよりも失敗から多くを学びます。

そして思い通りにならない経験をするからこそ、人に優しい眼差しを向けることができるようになります。

つまり人間的に成熟することができるのです。

自分の今までの経験を振り返っても、大きく成長できたとき、そこには試みがあり、しくじりがありました。

そして傷ついたときに自分の傍らにいてくださる方たちから、優しさというものを学ばせて頂きました。

試みる経験が人に多くの学びをもたらしてくれるのですが、実際に子どもたちと一緒に学んでいると、間違うことを極端に怖がる子が多いです。

「自分で考えてごらん」と言っても間違うことが嫌だから、解き方を教えてもらうまで何もしようとしない子さえいます。

なぜこんなにも試みることに及び腰になるのでしょうか?

 

=なぜ試みられないか?=

子どもと向き合うとき、私たち大人は無意識に二つの眼差しで子どもたちを見ています。

一つは、しっかりと基準を満たせているか、ルールを守れているかを見る、評価の眼差し。

もう一つは、その子の言葉に感情に寄り添い包み込む、共感の眼差し。

これは父性と母性と言い換えてもいいかと思います。

私たち大人が、子どもと対峙するときそれとは意識せずにこの二つの視点から子どもを見ています。

児童精神科医の佐々木正美先生は著書の中で、子どもにまず必要なのは母性である、と述べておられます。

まず子どもたちに必要なのは、評価の眼差しではなく、共感の眼差しであるということです。

しかし、今の子どもたちが置かれた環境を見てみれば、常に評価の眼差しに晒されていることが分かります。

学校の成績、習い事の成績、部活の成績、家の手伝いをしているか否か、バイト先での仕事の出来不出来。

大人が定めた基準の中で、それを満たすことが出来ているか、役に立っているかどうか。

子どもたちを取り巻く世界は、共感ではなく評価の眼差しに満ちています。

そういう評価に常に晒されている子どもたちの心の中に、果たして安心感はあるでしょうか?

例えば、私は小心な人間なので面接試験の前は不安に駆られます。

でもそれは私だけではないはずです。

このように評価というものは人から安心感を奪ってしまうのです。

そんな安心感のない状態で未知の何かに一歩を踏み出してみようなどという考えが浮かぶでしょうか?

子どもたちが何かを試みる事ができない理由、それはこの安心感の欠如だと私は考えます。

 

=共感の眼差し=

人は新たな何かを試みるから、そこから何かを学びます。

当然失敗のリスクも伴いますが、人はそこから多くを学び取ります。

だけど今、大変皮肉なことでありますが、

子どもたちの成長を願って様々な評価を課してきた私たち大人の振る舞いが、

子どもたちを学びから遠ざけてる、という事態が起きているのです。

そこには「学びとはデザインできるもの」という私たちの思いあがった考えがあるように思います。

その子にとっての学びがいつ何時その子に訪れるか、それはコントロールできるものではありません。

その人にとっての深い学びとは、偶然がもたらすものなのです。

なぜなら人は学び取る前に、それを学ぶ意味を知ることが出来ないからです。

その概念がない世界に生きている人間が、その概念を得ることで世界がどのように変わるかをその概念を得る前に想像することは、原理的に不可能です。

だから人はそれを学び取った後で、「私はこれを学んだことでこのような事が得られたのだな」と、初めて知ることができるのです。

話がちょっと逸れてしまいそうなので、軌道修正しますが、学びとはコントロールできるものではなく、偶然がもたらすもの、ということ。

その偶然に自分の身を投じていくためには、心の中に安心感が必要なのですが、今子どもたちは、

過剰な評価の眼差しにさらされ、未知に対して自分を開いていくことが出来なくなっている。

つまり、学べなくなっているということです。

今の子どもたちに必要なもの、それは評価の眼差しではありません。

その子の存在を認め、受け容れる共感の眼差しです。

その眼差しに見守られ、心の中に安心感が芽生えるからこそ、人は未知へと自分の身を投じてけるのです。

そしてその先で、偶然に、あくまで偶然に、その人にとっての大きな学びが起こります。

子どもたちは今頑張っています。

部活に、勉強に、アルバイトに。

今頑張っていないように見える子だって、頑張れなくなるまでに大人の期待に応えようと精一杯頑張ってきたはずなのです。

子どもたちの成長を願うならば、どうか、評価の眼差しではなく、温かい共感の眼差しで子どもたちを見守ってあげてください。

その眼差しが子どもたちの、学びたい、成長したい、という気持ちを育てていくことになるです。

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