生きづらい時代と自己肯定感

臨床心理学者で若者の不登校、引きこもりの問題に長年携わっておられる高垣忠一郎さんの著書を紹介致します。

生きづらい時代と自己肯定感 高垣 忠一郎 著

高垣さんは、定義が曖昧な「自己肯定感」という言葉を、「自分が自分であって大丈夫と思える感覚」と定義しています。

「自分のことが好き」とか「自分は素晴らしい」ではなく、「自分であって大丈夫」という表現が言い得て妙だと思います。

自己肯定感というのは様々ダメなところもあるけれど、そんな自分に対しても「まぁいいじゃないか」と思えることであり、

自分のダメなところをひた隠し、優れた部分しか見ようとしない自己愛とは全く別のもです。

自己嫌悪の強い人ほど、それを見ないふりして理想的な自己像に縋り付くもの。

だから自己愛と自己嫌悪は同じコインの裏表の関係なのです。

それでは自分の至らなさを受け容れて人間的に成熟するという苦痛を伴うプロセスを避け、

自分の優れた一面にしか目を向けない自己愛の中に逃げ込んでしまうのは何故なのでしょうか?

日本にはもともと「個」という考えが希薄でした。その概念が登場するのは明治時代に入ってからと言われています。

明確な「個」という概念を持たない日本人は共同体の中である役割を演じることで、不確かな自分という存在に確かさを見出してきました。

しかしグローバリズムの流れを受けて、拠り所としていた家族、地域、会社などの共同体は次々と解体されてしまいます。

個を支える強い宗教も存在しない日本では、砂つぶのようにバラバラになった人々が自分の存在を担保する術を失ってしまいました。

自分が存在することの意義を確かめるために私たち現代の日本人が寄りかかっているもの、それが他者からの承認です。

しかし人の評価のような移ろいやすいもので、自分の存在に絶対的な安心感を抱けるはずもありません。

そういう心に根ざす自分の存在に対する根源的な不安が、「生きづらい」という言葉で表現される世の中の雰囲気の正体なのではないかと私は思います。

そしてその不安感と対峙することを避けるために、自己愛という虚構に逃げ込む人が増えているのでしょう。

大人の社会に漂うこの根源的な不安感が、子どもたちに影響を及ぼさない訳はありません。

思春期というのは、親の価値観から脱皮して自分という人間を形作っていかなければならない、ただでさえ不安定な時期。

その不安定な自分のままで、未知の世界に足を踏み込めぬと自分の殻に閉じこもる子どもが増えるのも無理からぬことなのだと思います。

だから不登校や引きこもりというのは、個人の問題でも、個別のご家庭の問題でもありません。

社会全体の不安感が引き起こしている問題なのだと私は考えます。

この問題の解決の糸口は、子どもが変わることではありません。

まずは大人が変わることです。

社会に漂うこの不安感はどこから来るのか?

自分たちはどのような価値観に依拠して生きているのか?

そしてその価値観は誰が握りしめさせたものなのか?

社会の雰囲気に流されることなく、そういう問いを自分に投げかけ続け、一人一人が気づいていくことでしか、この問題は解決を見ないだろうと思います。

なぜ子どもたちは引きこもるのか?

この不安感はどこからやって来るのか?

なぜ評価や競争の世界に依拠して生きてしてしまうのか?

高垣さんの著書は、そういう問いに対峙するための見取図を与えてくれる一冊でした。

もしよかったら手に取ってみてください。

目次

1、自己肯定感ってなんやろう?

2、「自分が自分であって大丈夫」という自己肯定感の来歴

3、自己肯定感と「自己愛」そして「自分を愛する心」

4、競争社会と自己肯定感

5、現代の社会情勢と自己肯定感

6、自己肯定感のいま 命の世界と自己肯定感

7、自己肯定感を育てるために

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