世間のモノサシ、命のモノサシ ~まど・みちおさんの詩に思う~

私たちは日々評価の世界に身を置き生きています。

大人は、会社という組織で働き、その評価に応じて役職を割り当てられ、給与をもらい生活しています。

子どもは、学業成績によって、部活動の成績によって、世間からの評価を受け生きています。

評価とは何でしょうか?

評価・・・ある事物や人物について、その意義、価値を認める事。(大辞泉より)

意義や価値とは、国が変われば時代が変われば、コロコロと変わりゆくものでしかありません。

しかし、子どもたちと一緒に学習をしていると、その意義や価値の中で評価されようと一生懸命頑張る子、評価されないことで自信を失い投げやりになっている子に度々出会います。

子どもだけではありませんね。

かつて子どもだった頃そういう評価のモノサシを当てられながら育ってきた私たち大人も、世間から評価に一喜一憂しながら生きてるのではないでしょうか?

=世間のモノサシ、命のモノサシ=

私たちは、二つの価値を生きているのではないでしょうか?

だけど、片方の価値がワーワーキャンキャン喧しいために、もう一つの価値に気づきづらくなっている。

それが現代の日本なのだと私は感じています。

私は自然の中に身を置くことが好きです。

山の中や人気のない海に身を置くことが好きです。

晴れた夜にゴロリと横になって星空を眺めていると満ち足りた気持ちになります。

そういう場所で時間を過ごしていると、世間のモノサシがスーっと自分から遠ざかっていくのを感じます。

そういう場所で時間を過ごしていると、社会の中で役割を付与された「人間」ではなく、

霊長目ヒト科ヒト属に所属するヒトという生き物なのだという感覚が静かに沸き上がってくるのです。

普段自分が縛り付けられている世間のモノサシが遠ざかり、命のモノサシの中で生きているヒトという生き物という実感が沸き上がってきて、不思議な安心感を覚えます。

先ほど私たちは二つの価値を生きていると書きましたが、二つのうちのもう一つ、それは今自分がここに生きていること、それ自体が持つ価値です。

評価のモノサシが社会のあちらこちらに張り巡らされ、自分がただここにいる事それ自体に価値があるなどとはなかなか信じがたい世の中ですが、

私が好きな詩人のまど・みちおさんは、詩の中でその価値をこんな風に表現されています。

ぼくが ここに      まど・みちお

ぼくが ここに いるとき

ほかの どんなものも

ぼくに かさなって

ここに いることは できない

もしも ゾウが ここに いるならば

そのゾウだけ

マメがあるならば

その一つぶの マメだけ

しか ここに いることは できない

ああ このちきゅうの うえでは

こんなに だいじに

まもられているのだ

どんなものが どんなところに

いるときにも

その「いること」こそが

なににも まして

すばらしいこと として

今自分がここに「いること」は、ほかの誰にも代替不可能な価値があるのだと、まど・みちおさんの詩は語っています。

そして評価のモノサシ、世間のモノサシから離れ、ただここに「いること」の価値を感じられたとき、私たちは自分の存在に大きな安心感を抱くことができるのではないでしょうか?

=「自分が自分であって大丈夫」=

心理学者として、臨床心理士として長年不登校や引きこもりの子どもたちと関わってこられた高垣忠一郎さんは、

その著書の中で自己肯定感という定義のあいまいな言葉を、「自分が自分であって大丈夫」と思える気持ち、と定義づけています。

この気持ちが育まれるのはいったいどのような環境でしょうか?

評価というのは脅しにも似ています。

評価とは、この基準を満たせなければあなたは不要という脅しのメッセージにもなり得ます。

そのようなメッセージに満ちた世界で「自分が自分であって大丈夫」などという気持ちになれるでしょうか?

不登校の子どもたちと接していて思うのは、彼らは人一倍感受性が豊かな子が多いということです。

その「感受性豊か」という才能ゆえに、評価のモノサシ、脅しのメッセージに満ちた世の中に息苦しさを感じて動けなくなっているのではないでしょうか?

人が新しい世界に一歩足を踏み入れてみようと思えるのは、自分が自分に対して安んじていられるからです。

不慣れな世界に足を踏み入れて、そこで否定されたら失敗したら自分という人間の価値が大きく揺らいでしまう。

そんな不安定な気持ちを抱えたままで、人は未知の世界に足を踏み入れることはできません。

だから、もし今目の前に、気持ち一杯になって動けなくなっている子がいるならば、周りの大人がその子のためにせねばならないことは、

世間の発する評価の声に負けないくらいの声量で、「あなたはあなたであって大丈夫」という声を掛け続けてあげることです。

「自分が自分であって大丈夫」という感覚が心に根差しているからこそ、評価のモノサシを相対的なものと捉え、未知の世界に一歩踏み出していけるのです。

そして私自身がそうであったように、自分が自分であることに不安を抱える子どもたちに向けて、「あなたはあなたであって大丈夫」というメッセージを投げかけるという経験が、

評価の世界で汲々と生きる大人自身に「ただここにいること」の価値を思い出させてくれるのかもしれません。

先日読んだ、まど・みちおさんの詩にそんなことを思いました。

参考図書:ポケット詩集

共に待つ心たち 高垣 忠一郎 著

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