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価値観 ~人を苦しめるもの~

様々、悩みを抱えていらっしゃる方のお話を伺っていると、

「かくあるべし」という価値観が人を苦しめているのだと感じることが多いです。

社会人とは○○であるべき

男とは○○であるべき

女とは○○であるべき

親とは○○であるべき

結婚するべき

子どもを産むべき

学校へ行くべき

みんなと仲良くするべき

私たちは、知らぬ間に様々な価値観を取り込み生きているのだと思います。

私は高校時代、最後に書いた「みんなと仲良くするべき」に苦しみました。

小学校、中学校と山の中の全校生徒10数人の集団で育った私は、

高校から生徒数1000人規模の大規模校を初めて経験しました。

1クラス40人弱の集団で、様々な人と分け隔てなく仲良くしようと頑張りましたが、

しんどくてしんどくて毎日本当に嫌でした。

小学校で習う唱歌に「友達100人できるかな」という一節がありますが、

この歌詞には「友達は多いほうがいい」「みんなと仲良くなるべき」という予断が含まれています。

大人になって分かったことですが、誰とでも仲良くなるなど無理なことです。

気の合う人もいれば、気の合わない人もいる。

いろいろな人と当たり障りなく過ごすことはできても、仲良くなることまでは無理。

それが当たり前なのだと、大人になって社会に出てから初めて知りました。

だから私は、友人関係で悩む子どもには、「無理してみんなと仲良くならなくてもいいんだよ」と伝えるようにしています。

それではなぜ、「誰とでも仲良くなるなんて無理だよ」と子どもに正直に教えないのでしょうか?

なぜ「みんなで仲良くやりましょう」と大人でも実現不可能な価値観を植え付けるのでしょうか?

それはその方が、システムをコントロールする人間にとって都合がいいからです。

学校で言うならば、みんなが仲良くしてくれていたほうが、先生にとって都合がいいからです。

私たちが知らず知らずのうちに握りしめ手放せなくなった「かくあるべし」という価値観には、

概してそのようなものが多いのではないでしょうか?

続きます。

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「お前は大丈夫」 ~私を支えた母の言葉~

人にとって「母」とは特別な存在。

幼少期、客観的に見れば決して良くない状況にも関わらず、子どもを見限ることなく、

才能と可能性を信じ、寄り添い続けた「母」の存在で立ち上がった二人の偉人、

エジソンと坂本龍馬の事例を紹介致しました。

「母はどんなときも私の最大の理解者だった」

「世の人は我をなんとも言わば言え、我が為すことは我のみぞ知る」

今回は歴史上の偉人でもなんでもない全く持って凡庸な人間ですが、

苦しい時、つらい時、思い返せば母の言葉に支えられていた、私自身の経験を綴りたいと思います。

 

=「学校に行きたくない」=

高校時代、一体何度この言葉を口にしたかわかりません。

私は高校が大の苦手でした。

私は生まれてからずっと山の中の小さな学校、全校生徒10数人の中で育ちました。

高校進学と同時に、バスに揺られ40分、新潟県新発田市の公立高校に通うこととなりました。

一体何が苦手だったのか、今でもよく分からないのですが、山の中の小さな学校で自由気ままに過ごさせてもらっていた私は、

「みんなで同じことをやりましょう」という無言の同調圧力の中で、「そこからはみ出しちゃいけない」と苦しくなっていたように思います。

高校時代は楽しかったと話す方もいらっしゃいますが、私にとっては二度と戻りたくない時間です。

高校は私にとって一刻も早く出ていきたい場所でした。

ただ、楽しく通っている同級生もいたので、これはあくまでも私個人の主観の話です。

 

=「お前には滑り止めの学校もないんだぞ!」=

学校にいる間中精神的にしんどい。

そんな状況で授業の内容が頭に入ってくるはずもありません。

私の学業成績はずっと下から数えたほうが早い順位でした。

私には二歳年上の姉がおり、同じ高校に通っていたのですが、姉はとても学業優秀で成績はいつも学年で10位以内。

「お前の姉ちゃんは良くできるのになぁ」

先生や同級生からそんな言葉をかけられる度に、腹立たしさと屈辱感でいっぱいになりました。

兄弟、姉妹で比較されるというのは本当に嫌なものです。

お子さんに対してそのような言葉がけはされないほうがいい、と私が親御さんに伝えるのは、実体験があるからです。

高校三年生になっても私の成績は相変わらずで、テストの度に赤点ばかり。

数学に至っては0点を取ったことさえありました。

業を煮やした担任の教師が、朝礼で言った一言。

「お前には滑り止めの学校も無いんだぞ!」

「わざわざみんなの前でそんなことを言わなくてもいいだろう、、、」と心の中で思っていました。

20年も前のことを今でも覚えているのですから、そうとう腹立たしかったのだと思います。

 

=「お前は大丈夫」=

母は「勉強しなさい!」の類の言葉をほとんど言わない人でした。

その代わり学校に馴染めず、成績の振るわない私に、

「お前はやれば出来る子だから大丈夫」

そう言い続けてくれました。

いろんな人から「お前はダメ!」というメッセージを浴びた高校時代でしたが、母から「大丈夫」と言われると大丈夫な気がしてくるのが不思議でした。

子どもにとって母親の言葉はそれだけ強い力を持つということなのでしょう。

精神的にしんどい日々でしたが、さすがにこのままではまずいと思い勉強をし始めたのは、高校三年生の春からでした。

高校一年生、二年生の貯金が全くないような状態で始めた受験勉強でしたが、

それでも地道に努力を続けていく中で少しずつ成績は上向いていき、なんとか地方の小さな国立大学に現役で滑り込むことができました。

学校に合格報告に行ったときのこと。

「え?受かったの!?」と言って驚いた担任の教師の顔を今でもよく覚えています。

汚い言葉を書いてすみませんが、心の中で「ざまぁ見やがれ!」と叫んでいました。

 

=信じてくれる人=

客観的に見れば何一つ大丈夫である要素など無かったと思います。

いつまでたっても学校には馴染めない、赤点ばかり取ってくる。

それでも私に「大丈夫」と言い続けてくれた母の言葉があったおかげで、私は自分で自分を見限らずにいられたのだろうと思います。

子どもにとって一番身近な環境とは、その子の周りにいる大人がその子に対して抱く前提です。

子どもは周りの大人が自身に対して抱く前提を信じ、良くも悪くもその前提どおりの振る舞いをするように私には感じられます。

だから、世間一般の価値観で見れば決して良くない状態であったとしても、

自分の可能性を信じ「大丈夫」という前提を抱いて見守ってくれる大人がいることが子どもにとってとても大切なのです。

その前提で接してくれる誰かの存在が、苦しさを抱え動けなくなっている子どもに力を注ぎ、やがてその子は立ち上がっていく、

自分自身の経験に加えて、私は今までそのような事例をたくさん見させて頂きました。

だから、今お子さんがどんなに困難な状況にあったとしても、親御さんが当事者意識を持って寄り添ってくれる限り大丈夫。

私はそう言い切れるのです。

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「世の人は我をなんとも言わば言え、我が為すことは我のみぞ知る」

人にとって「母」とは特別な存在。

だからお子さんがどんなに困難な状況にあっても、お母さま、またはお母さまの役割を担う方が、当事者意識をもって寄り添うことで、お子さんは立ち上がる。

昨日のブログで書いた、エジソンもそのような事例の一つです。

「母はどんなときも私の最大の理解者だった」

今回も歴史上の革命家と母なるもののエピソードを紹介致します。

明治維新を経て日本が近代化へと舵を切る大きなきっかけとなった薩長同盟、大政奉還。

その立役者、坂本龍馬もまた「母という存在」によって立ち上がった一人です。

 

=坂本のよばいったれ=

1835年11月15日、土佐藩の下級武士である坂本家の第五子として龍馬は生まれます。

後々の革命家のイメージとは裏腹に、幼少期の龍馬はとても甘えん坊でした。

いつも鼻を垂らしており、夜尿症は11歳になるまで治らなかったと言われています。

近所の子どもたちからは、坂本のよばいったれ(寝小便たれ)と馬鹿にされていました。

12歳になると龍馬も読み書きの勉強のために近所の私塾に通い始めます。

しかし同級生に泣かされて帰ってくるわ、勉強が全くできないわで、すぐに退塾させられてしまいました。

 

=坂本のお仁王様=

12歳の時にずっと病気がちであった母を亡くした龍馬を、母親代わりとして育てたのが三つ年上の姉、乙女でした。

175㎝、110kgの体躯。

薙刀、剣術、弓、馬術、舞踏、謡曲、琴、三味線と武芸に秀でた乙女はその体つきから、坂本のお仁王様と呼ばれていたそうです。

龍馬はお仁王様から、読み書き、武術の特訓を受けます。

ある日水練のために乙女は龍馬を川へ連れて行きます。

龍馬を素っ裸にさせ腰ひもを巻き付けて、もう一端を自分が持つ竹竿に結わえると、龍馬を川に飛び込ませ、泳ぎを叩き込んだというエピソードが残っています。

乙女の教育の甲斐もあり、14歳から習い始めた剣術で龍馬はメキメキと頭角を現します。

甘えん坊でいじめられっ子のよばいったれは逞しい青年へと成長してゆきました。

 

=革命家へ=

1862年春、家族に「桜を見に行く」と言い残し、龍馬は土佐藩を脱藩。

革命家への道を歩み始めます。

脱藩は当時、捕まれば死罪という重罪でした。

日本全国を旅してまわるその道すがら、龍馬はたびたび乙女に宛てた手紙を書いています。

「日本をもう一度洗濯致し申し候」という有名な台詞も、乙女への手紙の中にしたためられていた一節です。

そういうところからも、龍馬にとって乙女の存在がただの姉弟以上の関係性であったことが伺えます。

乙女姉さんの支えを受けて、坂本のよばいったれと虐められていた坂本龍馬は、

薩長同盟を締結せしめ、日本の近代化への道筋を作った革命家へと成長して行きました。

 

=違和感を表現する勇気=

「世の人は我をなんとも言わば言え、我が為すこと我のみぞ知る」

これは龍馬が書いた有名な和歌です。

世の中の大勢を占める価値観に対して違和感を覚え、自分の命を賭してでもそれを表現できたのは、

自分が客観的に見てどんなにダメな状態であったとしても、

決して見限ることなく自分の可能性を信じ寄り添い続けてくれる「母という存在」が、

龍馬の心の中に根付いていたからではないでしょうか?

お子さんが不登校になり、ご自身を責めておられる親御さんにお伝えしたいのもこのことです。

お子さんが違和感を覚え、たとえ世間の流れから逸れたとしても、

不登校という形でその気持ちを表現できたのは、お子さんの心の中にしっかりと「母なるもの」が根付いているからではないでしょうか?

「自分の辛い気持ちを、父ちゃん、母ちゃんならばきっと受け止めてくれるはず」という信頼感があればこそ、

お子さんは自身が抱える違和感を具体的な形で表現する勇気を持てたのだと私は考えます。

そういう信頼関係を築いて来れれたからこそ、お子さんは不登校という選択をする勇気を持ちえたのです。

だからどうかご自身を責めないでください。

 

歴史上の偉人と母、そんな内容で前回、今回と綴ってきました。

私は、歴史上の偉人でもなんでもないとても凡庸な人間ですが、思い返せば自分自身がいつも母に支えられておりました。

次回はそんな自分の経験を綴ってみたいと思います。

続きます。

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「母はどんなときも私の最大の理解者だった」

人にとって「母」は特別な存在。

だからこそ困難にある子どもを救い出す力がある。

前回のブログではそのような内容を綴りました。

蓄音機、白熱電球、動画撮影機など、数々の発明で知られるトーマス・エジソン。

彼は小学校を三か月で退学になってるのをご存知ですか?

小学校退学のエジソンがなぜ歴史に名を残す発明家になり得たのか?

今回はそんな内容です。

 

=小学校退学=

1847年2月11日、アメリカのオハイオ州で七人兄弟の末っ子としてエジソンは生まれます。

とても好奇心と探求心に富んだ子どもだったそうです。

小学校に入ると、

「1+1はなぜ2なの?粘土の塊と粘土の塊をくっつけると大きな1つの塊になるじゃないか。」

「Aは何故エーと発音するの?なぜピーと発音しないの?」

などなど先生を質問攻めにしてたびたび授業がストップしたと言います。

これが積もり積もって校長先生から、「他の子の迷惑になるから」という理由で、3か月で退学処分を告げられることとなりました。

 

=母、ナンシー=

ガチョウの卵をふ化させようと卵を抱えて何時間も家の小屋にこもる。

モノは何故燃えるのかを知りたくて藁に火をつけていたら、家の納屋を全焼させてしまう。

子どもの頃のエジソンについては様々なエピソードが残っています。

その好奇心と探求心ゆえに学校から不適合を言い渡されたエジソンですが、母ナンシーの対応は違いました。

その好奇心、探求心こそが息子の才能であると見抜いた母は、自宅でエジソンに勉強を教え始めます。

エジソンの好奇心と探求心を大切にして、根気強く個人指導を続け発明王エジソンの基礎を作り上げました。

お母さんと一緒の学びの時間、幼いエジソンにとっては嬉しかったのではないでしょうか。

 

=発明王を育てたもの=

学校から不適合の烙印を押されたエジソン。

そんなエジソンの才能を見出し、信じて支え続けてくれたのは母。

後年、エジソンは白熱電球の実用化がなかなかうまくいかず、

耐久性のあるフィラメントの材料を探して、なんと6000通りもの素材を試しています。

そんなエジソンを見て周りの人は、「そんな失敗ばかりして、もういい加減諦めたら?」と言ったそうです。

エジソンは、「失敗ではなく、これはうまくいかないという方法を6000通り発見したんだ」と言って諦めませんでした。

その強さの裏に私は母の存在を感じます。

世間の評価にめげず自分を信じ続けることができたのは、

例え学校から退学を言い渡されても、自分の可能性を信じ寄り添い続けてくれた母の存在があったからだと私は感じます。

事実、エジソンはこう言い残しています。

「何があっても支えてくれた母がいたから今の私がある。

母だけは何があっても、あるがままの私を理解してくれた。

どんなに苦しい時でも、母を喜ばせたくて私は努力を続けることができた。

すべて母のお陰だ。」

母の信じる気持ちが、困難な状況にある子どもにエネルギーを注ぎ、再び立ち上がらせる。

自分が関わってきた事例からも、「母」という存在にはそんな力があると私は感じます。

 

今でこそ子どもに学習指導をしていますが、高校時代の私は勉強が全くダメでした。

先生からも随分きついことを言われました。

そんな私のことを信じてくれたのは、エジソン同様やはり母でした。

振り返って感謝だなぁと思います。

その話はまた後日。

続きます。

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おふくろさんよ、おふくろさん ~母という存在~

私は歌が好きです。

学生時代はギターを弾きながら街角で歌っていたこともあります。

聞かされるほうはたいそう迷惑だったことと思います。

若気の至りというやつですね。

恐ろしい。

それはさておき、ある時ふと気が付いたことがあります。

 

=母の歌=

母に捧げるバラード 海援隊

秋桜 山口百恵

アンマー かりゆし58

Mother  ジョン・レノン

おふくろさん 森進一

愛をこめて花束を Superfly

ヨイトマケの歌 美輪明宏

東京だよおっ母さん 島倉千代子

パッと思い出しただけでも、母を題材にした歌の多いこと。

歌という感情がストレートに出やすい表現方法において、これだけ「母」を題材にしたものが多い。

父を題材にした歌もあるにはありますが、それほど多くないように感じます。

 

=「母」という特別な存在=

父への思い、母への思い。

どちらが強いかと問われれば、大きな声では言えませんが、私は母への思いのほうが強いかもしれません。

でもそれは、私だけではないようです。

父の日と母の日の贈り物が、それぞれどれだけの市場規模を調べてみました。

父の日 1825億円

母の日 2377億円

ともに第一生命の調査結果を参照しました。

父の日より母の日のほうが、30%ほど大きな数字です。

金額の多寡で人の心を測れるわけではありませんが、一つの指標にはなり得るかと思います。

やはり、人にとって母という存在は特別なものがあるように感じます。

 

=母の力=

子どもたちの困難な状況。

例えば、不登校、家庭内暴力、夜遊び、摂食障害、リストカット、ネット依存。

そのような状況下でお母さまが、またはお母さんの役割を担っている方が、

当事者意識を持ってお子さんに寄り添うことで状況が改善に向かう。

私はそのような事例をいくつも見てきました。

お母さんが信じる力が子どもにエネルギーを注ぎ、困難から立ち上がる。

それは何も今という時代に限ったことではありません。

歴史上の偉人・天才と呼ばれる人たちの幼少期を調べてみると、そのような事例がたくさんあります。

次回以降はそんな事例をいくつかご紹介していこうと思います。

続きます。

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「それを言っちゃぁおしめぇよ!」 ~子どもの学びを阻むもの~

私は映画「男はつらいよ」シリーズの寅さんが好きです。

子どもの頃、あんな風に生きられたらと心密かに憧れていたものです。

旅からふらりと帰ってきた寅さんが、夕ご飯の後家族を相手に一席講じる場面が映画に度々出てきます。

食卓の周りにはいつもの面子。

おじちゃん、おばちゃん、さくらにひろし、裏の会社のタコ社長。

寅さんは口上命の的屋稼業。

話始めるとエンジンがかかっちゃって、ついつい言わなくてもいいことをペロっと言ってしまいます。

「そんなこと言わなくてもいいじゃないか」とおばさんがしくしくと泣き始め、

それに怒ったおじさんが、「てめえみてぇなやつは出ていけ!」と言葉を投げつける。

売り言葉に買い言葉で寅さんが発する台詞が表題の「それを言っちゃぁおしめぇよ!」です。

 

=「それを言っちゃぁおしめぇよ」=

思っていても口に出していけないことが、この世の中にはあると私は思います。

現に映画の中ではそれを言ってしまったがために久々の一家団欒が家族喧嘩になっています。

だから「それは言わない約束でしょ?」という不文律に従って言わない方がいいことがこの世の中にはあるのです。

私が思う「それは言わない約束でしょ?」の一つは、大人が子どもに対して言う、

「学校が悪い」、「あの先生はダメ」という学校批判、先生批判の言説です。

学校で、子どもたちの間で、トラブルが起きると、わが子を叱るのではなく、

真っ先に批判の矛先を学校に向けるのが昨今の日本の風習です。

子どもにいじめはいけないよ、と言っている大人自身が寄ってたかって学校や先生をいじめている。

私の目にはそのようにも映るのですが、私の子ども時代は決してそうではありませんでした。

子どもの頃、家庭訪問の際に、うちの親は「悪い事したら厳しく叱ってくださいね」と確かに先生に言っていました。

親父に至っては「殴っていいよ」とさえ言っていました。

それだけ、「先生」という存在に社会が信頼を置いていた時代でした。

この様に、何かトラブルが起きたら、とりあえず学校のせいにする、先生のせいにするというのは、普遍的に正しい振る舞いではなく、

現代の日本という限定的時空間でのみ正しいと信じられている問題対処の方法です。

そして、その「学校が悪い」「先生が悪い」という大人の発する言葉が、子どもたちから学びの機会を奪っている。

そういう側面があるのではないかと私は考えています。

 

=「先生はえらい」という作り話=

人が何かを学び取りたいと思う人はどんな人でしょうか?

確かに反面教師という言葉はありますが、基本的に人は「この人は自分の知らない何かを知っている」と信じることなしに、人から何かを学び取ろうとは思えないものです。

今、「信じる」という言葉を使いましたが、その信憑は世間一般に広く認められた事実なのかもしれませんし、その人の単なる個人的思い込みのレベルでしかなのかもしれません。

でもそれは、思い込みでも幻想で構わないと私は考えます(その対象がカルト宗教の教祖などという場合は別ですが)。

「この人は自分の知らない何かを知っている先生だ!」と思い込んでいる人は、先生の咳払い一つにも、何かのメッセージを汲み取ろうとします。

「今このタイミング、この場所で発せられたこの咳払いには、何か重要な意味があるのではないか?」

「先生」というものを持った人間は、このような自問自答のモードに突入し、先生が教えてもいないことを自分でどんどん学び取り、人間的に勝手に成長していきます。

だから客観的に見れば、その辺にいる普通のおじさん、おばさんであったとしても、

当の本人が「この人は自分の知らない世界の秘密を知っている先生だ!」という信憑さえ抱いていれば、

そのおじさんとおばさんはその人にとっての先生として充分機能し得るのです。

ジャック・ラカンというとても頭の良い哲学者も以下のように言っています。

“人は知っているものの立場に立たされている間は常に十分に知っているのです。

誰かが教えるものの立場に立つ限り、その人が役に立たないということはありません。”

学びを担保しているのは、煎じ詰めれば教える側の技量や知識それ自体ではなく、「この人は自分の知らない何かを知っている」という先生に対する信頼である。

そうラカンは述べています。

特段立派でもなく心清いわけでもないこの私が、先生という立場を演じさせてもらっている事実からも、この言葉は十分信じるに足るものだと思います。

学びを担保するものが教壇の向こう側に立つ人間に対する信頼であるならば、

例えまだ先生の力量が伴わなくとも、例え先生への敬意がその人の個人的思い込みのレベルであったとしても、

「先生はえらい」という物語を社会で共有しているほうが、子どもたちはそこから多くを学び取ることができるのではないでしょうか?

「そんな作り話でいいんですか?」というご意見もありそうですが、そういう作り話を信じることで私たちの社会は回っています。

例えば、私たちが一万円札という紙切れには一万円分の価値がある、という作り話を信じているから、貨幣を介した経済活動は成り立っているわけです。

例えば、私は日本という国に住む日本人ですが、それは生物学的に日本人固有の特徴を持ってこの世に誕生したからではなく、

この時代この場所で生まれた人間を日本人と定める、という社会的に合意された作り話が、私を日本人足らしめているだけなのです。

このように世界のあちこちには作り話が織り込まれているわけですが、

それを信じることで日々の生活がスムーズになり、人間のパフォーマンスが向上するのであれば、私はそれが例え作り話の類であっても信じるに値すると考えます。

だから「先生はえらい」というのが例え作り話であったとしても、それが子どもの学びを促してくれるのであれば、私はそれを信じていたいと思うのです。

 

=子どもの学びを阻むもの=

学びを担保するものが、教壇の向こう側に立つ人間に対する信頼であるならば、

大人の言う「あの先生じゃねぇ、、、」「学校がダメなんだよ」という言葉が、子どもたちの学びを促す方向に作用することはあり得るでしょうか?

子ども頃の大人の言葉は、その子にとって大きな影響力を持ちます。

子どもたちの学びの場に対する信頼を損なうような発言を、周りの大人は控えるべきだと私は思います。

「自分は知らない」という認識を抱けない人間は、もう新たに何かを学ぶことをしないでしょう。

「自分はまだ何も知らない」という認識が、人を学びに駆り立てるのです。

だから人が学び続けるためには、「自分の無知」を認識させてくれる誰か、つまり先生が必要なのです。

しかし、私たち大人の物言いが、その学びに不可欠な「先生」を、子どもたちから奪っている、そういう側面がありはしないでしょうか?

確かに「ちょっとなぁ、、、」と思う先生もいます。

そういう場合でも、お子さんにそれを聞かせるのではなく、親御さん同士で話し合って必要あらば、学校に相談に行くという手段を取ればよいと思います。

例えそれが実を伴わない作り話のレベルであったとしても、そうと信じることで子どもたちの学びが促されるのであれば、

社会全体で「先生はえらい」という物語をもう一度信じてみる価値が、十分にあると私は考えます。

そしてそれが「やはり幻想であった」と言われぬように、私は日々努めていこうと思うのです。

参考図書:先生はえらい 内田 樹 著

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受け身 ~負ける練習~

 

相田みつをさんの著書に「受け身」というエッセイがあります。

柔道の基本は受け身。

受け身とは、負ける練習。

人の前で投げ飛ばされる練習。

人の前で恥をさらす練習。

柔道ではまず初めに負け方を教える。

それは、生きていると格好よく勝つことよりも、無様に負けることのほうが多いからだ。

受け身が身に付けば人生の達人だ。

若者よ、頭と体の柔らかいうちに受け身をしっかり身に着けておけ。

失敗なんか気にするな。

負けることをうんと学んでおけ。

そしてわが身を通して受け身を、負け方を身に付けてはじめて、

人の心の痛みに寄り添える人間になれるんだ。

そのような内容のエッセイです。

人は成功するよりも失敗から多くを学びます。

そして思い通りにならない経験をするからこそ、人に優しい眼差しを向けることができるようになります。

つまり人間的に成熟することができるのです。

自分の今までの経験を振り返っても、大きく成長できたとき、そこには試みがあり、しくじりがありました。

そして傷ついたときに自分の傍らにいてくださる方たちから、優しさというものを学ばせて頂きました。

試みる経験が人に多くの学びをもたらしてくれるのですが、実際に子どもたちと一緒に学んでいると、間違うことを極端に怖がる子が多いです。

「自分で考えてごらん」と言っても間違うことが嫌だから、解き方を教えてもらうまで何もしようとしない子さえいます。

なぜこんなにも試みることに及び腰になるのでしょうか?

 

=なぜ試みられないか?=

子どもと向き合うとき、私たち大人は無意識に二つの眼差しで子どもたちを見ています。

一つは、しっかりと基準を満たせているか、ルールを守れているかを見る、評価の眼差し。

もう一つは、その子の言葉に感情に寄り添い包み込む、共感の眼差し。

これは父性と母性と言い換えてもいいかと思います。

私たち大人が、子どもと対峙するときそれとは意識せずにこの二つの視点から子どもを見ています。

児童精神科医の佐々木正美先生は著書の中で、子どもにまず必要なのは母性である、と述べておられます。

まず子どもたちに必要なのは、評価の眼差しではなく、共感の眼差しであるということです。

しかし、今の子どもたちが置かれた環境を見てみれば、常に評価の眼差しに晒されていることが分かります。

学校の成績、習い事の成績、部活の成績、家の手伝いをしているか否か、バイト先での仕事の出来不出来。

大人が定めた基準の中で、それを満たすことが出来ているか、役に立っているかどうか。

子どもたちを取り巻く世界は、共感ではなく評価の眼差しに満ちています。

そういう評価に常に晒されている子どもたちの心の中に、果たして安心感はあるでしょうか?

例えば、私は小心な人間なので面接試験の前は不安に駆られます。

でもそれは私だけではないはずです。

このように評価というものは人から安心感を奪ってしまうのです。

そんな安心感のない状態で未知の何かに一歩を踏み出してみようなどという考えが浮かぶでしょうか?

子どもたちが何かを試みる事ができない理由、それはこの安心感の欠如だと私は考えます。

 

=共感の眼差し=

人は新たな何かを試みるから、そこから何かを学びます。

当然失敗のリスクも伴いますが、人はそこから多くを学び取ります。

だけど今、大変皮肉なことでありますが、

子どもたちの成長を願って様々な評価を課してきた私たち大人の振る舞いが、

子どもたちを学びから遠ざけてる、という事態が起きているのです。

そこには「学びとはデザインできるもの」という私たちの思いあがった考えがあるように思います。

その子にとっての学びがいつ何時その子に訪れるか、それはコントロールできるものではありません。

その人にとっての深い学びとは、偶然がもたらすものなのです。

なぜなら人は学び取る前に、それを学ぶ意味を知ることが出来ないからです。

その概念がない世界に生きている人間が、その概念を得ることで世界がどのように変わるかをその概念を得る前に想像することは、原理的に不可能です。

だから人はそれを学び取った後で、「私はこれを学んだことでこのような事が得られたのだな」と、初めて知ることができるのです。

話がちょっと逸れてしまいそうなので、軌道修正しますが、学びとはコントロールできるものではなく、偶然がもたらすもの、ということ。

その偶然に自分の身を投じていくためには、心の中に安心感が必要なのですが、今子どもたちは、

過剰な評価の眼差しにさらされ、未知に対して自分を開いていくことが出来なくなっている。

つまり、学べなくなっているということです。

今の子どもたちに必要なもの、それは評価の眼差しではありません。

その子の存在を認め、受け容れる共感の眼差しです。

その眼差しに見守られ、心の中に安心感が芽生えるからこそ、人は未知へと自分の身を投じてけるのです。

そしてその先で、偶然に、あくまで偶然に、その人にとっての大きな学びが起こります。

子どもたちは今頑張っています。

部活に、勉強に、アルバイトに。

今頑張っていないように見える子だって、頑張れなくなるまでに大人の期待に応えようと精一杯頑張ってきたはずなのです。

子どもたちの成長を願うならば、どうか、評価の眼差しではなく、温かい共感の眼差しで子どもたちを見守ってあげてください。

その眼差しが子どもたちの、学びたい、成長したい、という気持ちを育てていくことになるです。

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生きづらい時代と自己肯定感

臨床心理学者で若者の不登校、引きこもりの問題に長年携わっておられる高垣忠一郎さんの著書を紹介致します。

生きづらい時代と自己肯定感 高垣 忠一郎 著

高垣さんは、定義が曖昧な「自己肯定感」という言葉を、「自分が自分であって大丈夫と思える感覚」と定義しています。

「自分のことが好き」とか「自分は素晴らしい」ではなく、「自分であって大丈夫」という表現が言い得て妙だと思います。

自己肯定感というのは様々ダメなところもあるけれど、そんな自分に対しても「まぁいいじゃないか」と思えることであり、

自分のダメなところをひた隠し、優れた部分しか見ようとしない自己愛とは全く別のもです。

自己嫌悪の強い人ほど、それを見ないふりして理想的な自己像に縋り付くもの。

だから自己愛と自己嫌悪は同じコインの裏表の関係なのです。

それでは自分の至らなさを受け容れて人間的に成熟するという苦痛を伴うプロセスを避け、

自分の優れた一面にしか目を向けない自己愛の中に逃げ込んでしまうのは何故なのでしょうか?

日本にはもともと「個」という考えが希薄でした。その概念が登場するのは明治時代に入ってからと言われています。

明確な「個」という概念を持たない日本人は共同体の中である役割を演じることで、不確かな自分という存在に確かさを見出してきました。

しかしグローバリズムの流れを受けて、拠り所としていた家族、地域、会社などの共同体は次々と解体されてしまいます。

個を支える強い宗教も存在しない日本では、砂つぶのようにバラバラになった人々が自分の存在を担保する術を失ってしまいました。

自分が存在することの意義を確かめるために私たち現代の日本人が寄りかかっているもの、それが他者からの承認です。

しかし人の評価のような移ろいやすいもので、自分の存在に絶対的な安心感を抱けるはずもありません。

そういう心に根ざす自分の存在に対する根源的な不安が、「生きづらい」という言葉で表現される世の中の雰囲気の正体なのではないかと私は思います。

そしてその不安感と対峙することを避けるために、自己愛という虚構に逃げ込む人が増えているのでしょう。

大人の社会に漂うこの根源的な不安感が、子どもたちに影響を及ぼさない訳はありません。

思春期というのは、親の価値観から脱皮して自分という人間を形作っていかなければならない、ただでさえ不安定な時期。

その不安定な自分のままで、未知の世界に足を踏み込めぬと自分の殻に閉じこもる子どもが増えるのも無理からぬことなのだと思います。

だから不登校や引きこもりというのは、個人の問題でも、個別のご家庭の問題でもありません。

社会全体の不安感が引き起こしている問題なのだと私は考えます。

この問題の解決の糸口は、子どもが変わることではありません。

まずは大人が変わることです。

社会に漂うこの不安感はどこから来るのか?

自分たちはどのような価値観に依拠して生きているのか?

そしてその価値観は誰が握りしめさせたものなのか?

社会の雰囲気に流されることなく、そういう問いを自分に投げかけ続け、一人一人が気づいていくことでしか、この問題は解決を見ないだろうと思います。

なぜ子どもたちは引きこもるのか?

この不安感はどこからやって来るのか?

なぜ評価や競争の世界に依拠して生きてしてしまうのか?

高垣さんの著書は、そういう問いに対峙するための見取図を与えてくれる一冊でした。

もしよかったら手に取ってみてください。

目次

1、自己肯定感ってなんやろう?

2、「自分が自分であって大丈夫」という自己肯定感の来歴

3、自己肯定感と「自己愛」そして「自分を愛する心」

4、競争社会と自己肯定感

5、現代の社会情勢と自己肯定感

6、自己肯定感のいま 命の世界と自己肯定感

7、自己肯定感を育てるために

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世間のモノサシ、命のモノサシ ~まど・みちおさんの詩に思う~

私たちは日々評価の世界に身を置き生きています。

大人は、会社という組織で働き、その評価に応じて役職を割り当てられ、給与をもらい生活しています。

子どもは、学業成績によって、部活動の成績によって、世間からの評価を受け生きています。

評価とは何でしょうか?

評価・・・ある事物や人物について、その意義、価値を認める事。(大辞泉より)

意義や価値とは、国が変われば時代が変われば、コロコロと変わりゆくものでしかありません。

しかし、子どもたちと一緒に学習をしていると、その意義や価値の中で評価されようと一生懸命頑張る子、評価されないことで自信を失い投げやりになっている子に度々出会います。

子どもだけではありませんね。

かつて子どもだった頃そういう評価のモノサシを当てられながら育ってきた私たち大人も、世間から評価に一喜一憂しながら生きてるのではないでしょうか?

=世間のモノサシ、命のモノサシ=

私たちは、二つの価値を生きているのではないでしょうか?

だけど、片方の価値がワーワーキャンキャン喧しいために、もう一つの価値に気づきづらくなっている。

それが現代の日本なのだと私は感じています。

私は自然の中に身を置くことが好きです。

山の中や人気のない海に身を置くことが好きです。

晴れた夜にゴロリと横になって星空を眺めていると満ち足りた気持ちになります。

そういう場所で時間を過ごしていると、世間のモノサシがスーっと自分から遠ざかっていくのを感じます。

そういう場所で時間を過ごしていると、社会の中で役割を付与された「人間」ではなく、

霊長目ヒト科ヒト属に所属するヒトという生き物なのだという感覚が静かに沸き上がってくるのです。

普段自分が縛り付けられている世間のモノサシが遠ざかり、命のモノサシの中で生きているヒトという生き物という実感が沸き上がってきて、不思議な安心感を覚えます。

先ほど私たちは二つの価値を生きていると書きましたが、二つのうちのもう一つ、それは今自分がここに生きていること、それ自体が持つ価値です。

評価のモノサシが社会のあちらこちらに張り巡らされ、自分がただここにいる事それ自体に価値があるなどとはなかなか信じがたい世の中ですが、

私が好きな詩人のまど・みちおさんは、詩の中でその価値をこんな風に表現されています。

ぼくが ここに      まど・みちお

ぼくが ここに いるとき

ほかの どんなものも

ぼくに かさなって

ここに いることは できない

もしも ゾウが ここに いるならば

そのゾウだけ

マメがあるならば

その一つぶの マメだけ

しか ここに いることは できない

ああ このちきゅうの うえでは

こんなに だいじに

まもられているのだ

どんなものが どんなところに

いるときにも

その「いること」こそが

なににも まして

すばらしいこと として

今自分がここに「いること」は、ほかの誰にも代替不可能な価値があるのだと、まど・みちおさんの詩は語っています。

そして評価のモノサシ、世間のモノサシから離れ、ただここに「いること」の価値を感じられたとき、私たちは自分の存在に大きな安心感を抱くことができるのではないでしょうか?

=「自分が自分であって大丈夫」=

心理学者として、臨床心理士として長年不登校や引きこもりの子どもたちと関わってこられた高垣忠一郎さんは、

その著書の中で自己肯定感という定義のあいまいな言葉を、「自分が自分であって大丈夫」と思える気持ち、と定義づけています。

この気持ちが育まれるのはいったいどのような環境でしょうか?

評価というのは脅しにも似ています。

評価とは、この基準を満たせなければあなたは不要という脅しのメッセージにもなり得ます。

そのようなメッセージに満ちた世界で「自分が自分であって大丈夫」などという気持ちになれるでしょうか?

不登校の子どもたちと接していて思うのは、彼らは人一倍感受性が豊かな子が多いということです。

その「感受性豊か」という才能ゆえに、評価のモノサシ、脅しのメッセージに満ちた世の中に息苦しさを感じて動けなくなっているのではないでしょうか?

人が新しい世界に一歩足を踏み入れてみようと思えるのは、自分が自分に対して安んじていられるからです。

不慣れな世界に足を踏み入れて、そこで否定されたら失敗したら自分という人間の価値が大きく揺らいでしまう。

そんな不安定な気持ちを抱えたままで、人は未知の世界に足を踏み入れることはできません。

だから、もし今目の前に、気持ち一杯になって動けなくなっている子がいるならば、周りの大人がその子のためにせねばならないことは、

世間の発する評価の声に負けないくらいの声量で、「あなたはあなたであって大丈夫」という声を掛け続けてあげることです。

「自分が自分であって大丈夫」という感覚が心に根差しているからこそ、評価のモノサシを相対的なものと捉え、未知の世界に一歩踏み出していけるのです。

そして私自身がそうであったように、自分が自分であることに不安を抱える子どもたちに向けて、「あなたはあなたであって大丈夫」というメッセージを投げかけるという経験が、

評価の世界で汲々と生きる大人自身に「ただここにいること」の価値を思い出させてくれるのかもしれません。

先日読んだ、まど・みちおさんの詩にそんなことを思いました。

参考図書:ポケット詩集

共に待つ心たち 高垣 忠一郎 著

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意味が分からないことの意味

学校教育は決して洗脳などではなく、子どもたちの考える土台を築き世界観を広げてくれる素晴らしい内容であること。

そして国語、英語、社会、理科、数学、それぞれを学ぶことで一体何が得られるのか、どんな意味があるのかを数回に分けて考えてきました。

「学校教育は洗脳」という洗脳

世界の新しい切り取り方 ~他言語を学ぶ意味~

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

電卓があっても数学を学ばねばならない理由

ここまで書き綴ってきたすべてをひっくり返すようなことを書きますが、意味が分かることは必ずしも良いことばかりではありません。

意味が分からないことにも大切な意味がある。

今日はそのような内容を綴ってみたいと思います。

 

=意味が分かってしまうことの罪=

考える事はとても大切なことですが、その一方で考えることには辛さも伴います。

なぜなら「考える」とは、今までの自分の思考の枠組みを解体し、再度組み立てなおすこと。

今までの自分を壊し、再構築する作業だからです。

当然脳みそには多大な負荷がかかります。

だから、気が付くと考える事を無意識的に避けていた、そんな経験が私には多々あります。

例えば、本を読むときがそうです。

今まで読み慣れたジャンル、今まで読み慣れた書き手の本は読んでいても知的に負荷がかからないが故に、無意識的にそういう本を選んでしまう自分がいます。

そういう本を読み続けていても、脳みそがくたびれることはありません。

だからスラスラ読めてしまいます。そして読み終えた達成感も味わえます。

その一方で、確認できることは沢山ありますが、新たに得られるものはそれほど多くはありません。

簡単に意味が分かってしまうことの罪、それはその人の世界観があまり広がらないということです。

 

=それを学ぶことの意味は事後的にしか分からない=

“それを学び取ることの意味は学んだあとで初めてわかる。”

これは、内田樹さんの著書「先生はえらい」から教えて頂いたことです。

赤ちゃんが周囲の大人から言葉を学び取るとき、言葉を学ぶ意味を知っているでしょうか?

言葉を学び取ることで私にはこのような良きことがある。

そんな風に考えて言葉を学び取っているのでしょうか?

違いますよね。

言葉を学び取ることで、家族と会話が出来るようになる、本を読むことが出来るようになる、友達に手紙を書けるようになる。

言葉を学び取ることで得られるもの、それは言葉を学び取ったあとで初めて分かるものです。

学び取る内容がその人の人生観をガラリと変えてしまうほどクリティカルな内容であればあるほど、それを学び取る前の人間にはそれを学ぶ意味は分からない。

そういう構造になっているのではないでしょうか?

だからこれを学び取ることで自分には何が得られるのか?容易に想像できる事柄よりも、

これを学ぶことで一体何が得られるのかよくわからないもの方が、その人に大きな学びをもたらすということもあるのです。

 

=成熟は葛藤を通じて果される=

意味が分かるからこそ、人はモチベーションが上がります。

その一方で意味が分かってしまうことで失われるものもあります。

その一つが葛藤する時間です。

意味の分からなさの中で揺れ動き葛藤することで、人は成熟を果たしていきます。

例えば、ここに中学生の少年A君がいたとします。

A君は野球が大好き。部活動を毎日頑張っています。

そんなA君に対して親は、部活よりも学校の勉強を頑張れと言います。

ところが部活の先生はみんなで一緒に部活をがんばろうと言ってきます。

このように親と先生の言うことが割れているとき、少年A君はその相反する二つの考えの間で揺れ動き悩みを抱えます。

でもその葛藤のプロセスの中で、

親は、勉強を頑張って世の中の役に立つ大人になれ、と言っている、

先生は、みんなで部活を頑張ることで仲間と協力して生きていける大人になれ、と言っている、

そうか要するに親も先生も俺に大人になれと言っていたのか!、と分かるときが来るわけです。

このように一見相反する物事の中に共通項を見出せるようになるのは、物事を見る視点が高くなったから、より広い世界を一望俯瞰できる広い視野を得たからです。

そしてそれが人間として一段成熟を果たした瞬間なのです。

意味の分からなさを抱えたまま、相反する物事の中で揺れ動き葛藤することを通じて、人は一段一段大人への階段を上っていくのです。

意味の分からなさが人を葛藤させ、このような成熟のプロセスを駆動する力になる。

だから意味が分からないことにも大切な意味があるのです。

 

学ぶことの意味についてずっと綴って参りましたが、意味が分からないことにも大切な意味がある。

私はそう考えます。

何でも効率よく手にいれようとする近視眼的発想が瀰漫した世の中では、

意味が分からないという状態に耐え切れず、理解できないことを簡単に視界の外に追いやってしまいがちですが、

子どもたちには、その意味の分からなさ、気持ちの片付かなさを切り捨てることなく大切に抱えてほしいと思います。

なぜならばその意味の分からなさ、気持ちの片付かなさの中で、揺れ動き葛藤するなかで人は大人になっていくからです。

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参考図書:先生はえらい 内田 樹 著

街場の教育論 内田 樹 著

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